【ケチャップ】

 福間健二(1949―2023)

2024.4.11(水島英己)

もらったもの
とくに刺さる力をもつものは
大事にする。痛かったのを忘れちゃだめだよ。
ケチャップ、よくしゃべる男たちの
背後の岸辺で
踏まれている袋入りの夢が腐りはじめても
 
窓辺のきみは負けていない。
なぞられたデザインの、永遠なんかには。
だって、新井さんの見た「生きることの罪と
生命の官能をつなぐ
金色のほそいみちすじ」につながる偶然を
きみの撫で肩は生きている。
 
日が暮れる。やりたいことやって
したくないことしなかったというわけじゃなくても
きみひとりのせいじゃない。
そのキズも、屈折も、北側の
外廊下の暗がりからドアへのひとりごとも
脱ぎたくたって脱げないだろう。
 
ここに窓がある。
眠れない夜の毛布のなかに
世界がいろんなものを放り込んでくる。
もらったのだ。
他人の時間と刺さる理由。
痛くて痛くてたまらないからきみは甘い息を吐く。
窓の下を通るだれかにその息で魔法をかけて
知らん顔していよう。
それからおいしいビールだ。

 この詩は彼の最後の詩集となった『休息のとり方』(二〇二〇年七月・而立書房)に収録されている。一九七二年・七三年の『沈黙と刺青』『冬の戒律』『鬼になるまで』の三部作のデビューから数えると半世紀余にわたって詩を書き続けてきたことになる。公刊された詩集は選詩集をのぞいて十七冊ある。当然のことながら、彼の詩は変化してきたが、ここにとりあげたのは変わらずにある彼の詩の原型のようなものだ。
「ケチャップ」という、いかにもライト・ヴァースを思わせる、このタイトルは、詩集のタイトルはもちろん、詩篇のタイトルにもこだわった彼にしてはあまりにもそっけない。『休息のとり方』というタイトルも、前掲の初期の三部詩集のタイトルや、思いつくままにあげてみるが、『結婚入門』、『急にたどりついてしまう』、『侵入し、通過してゆく』、『地上のぬくもり』、『秋の理由』などに比べると大人しすぎる。このタイトルも彼の他の詩集同様に英語訳が用意されていて、それは”How to Take a Rest”というものだ。『会いたい人』は”i miss you”。これに比べるとどうだろうか。ディラン・トマスやW.H.オーデンの研究者でもあった大学教員としては当然かもしれないが、英訳もふくめてタイトルのつけ方にはセンスがあった。ぼくの詩集のタイトルで、彼がつけてくれたものも一冊ある。タイトルが下手くそだと彼によく言われたことがあった。それにしても、この詩集のタイトルは、彼は去年の四月に急逝したのだが、今、見直すと予言的であり、せつなくなる。「休息」などは考えずに駆け抜けてきたにちがいない彼にとっての休息が思いもしなかった死だったとは考えたくない。
「ケチャップ」は詩の中では二行目の「ケチャップ、よくしゃべる男たちの」という一行に一回でてくるだけで、その意味も効果も一読しただけでは分からない。ぼくはありありと思い出す。彼の朗読は、一行を明確に一行として発音していくことを基本になされるものだった。「ケチャップ、よくしゃべる男たちの」という一行を、そのまま次の「背後の岸辺で」に「の」を介して、だらしなく続けない。一行のそれぞれが一行として他の行と関係し、干渉しあう、という感じをぼくは彼の朗読を聴きながらいつも思った。次に何が来るか、それがポイントだ。この一行「ケチャップ、よくしゃべる男たちの」からは、〈ケチャップ〉と〈しゃべる〉の〈しゃ〉の音の重なりが強く耳に残る。ケチャップという語はただそれだけのためにここで使用されているのかもしれない。他の言葉も含めてだが、このような日常的な語を使うことで、全体として何を言いたかったのか。
形式的なことを言えば、第一連も第二連も倒置法になっていることに注目したい。特に第二連は、

だって、新井さんの見た「生きることの罪と
生命の官能をつなぐ
金色のほそいみちすじ」につながる偶然を
きみの撫で肩は生きている

という、この詩の中心思想だが、それを「だって」(こんな言葉を詩語として使った詩人は他にいただろうか)を使い、なぜ「きみ」が「負けていない」かの理由として提示する。新井豊美さんが、その詩「グリュ―ネヴァルト頌」で発見した「生きることの罪と生命の官能をつなぐ金色のほそいみちすじ」につながる「偶然」を「きみの撫で肩」は生きているのだから、「なぞられたデザインの、永遠なんかには。」「窓辺のきみは負けていない。」というのを倒置にして強調しているのだ。何と何が勝負の舞台に上がっているのか。図式的に言えば、—模倣された永遠の強迫VS日々の偶然を生きるしかない実存—の勝負ということになるのだろうか。日常生活の中での、目に見えない人の生き方、倫理に関する問題の「勝負」というテーマがここにはある。彼にとっての人とは吉本隆明のいう「大衆の原像」の「大衆」のような存在だろう。比較される「なぞられたデザインの、永遠」に「きみ」は負けてはならないよと声援を送っている。「生きることの罪」と「生命の官能」をつなぐ金色のほそいみちすじ、とは何だろう。日々の偶然を生きる実存という粗雑な捉え方でなく、もっと繊細な表現があるかもしれない。強いるものに対して許すもの、として考えてもいいのかもしれない。強いる倫理と許す倫理、必然と偶然、本質と実存の対比。しかし、詩の言語はこんな形而上的、哲学的クリシェとは無縁だ。具体的には三連目の「キズ」「屈折」「ひとりごと」「脱ぎたくたって脱げないもの」を抱えて生きる「実存」ということだろうが、「きみの撫で肩」という一語が、新井豊美が見た磔刑図のマグダラのマリアの金髪(金色のほそいみちすじ)と同じ価値をもって、この詩で輝いているのをぼくは確認する。
「ケチャップ」という作品の、福間詩に共通する口語的、ヴァナキュラーな形式とそこに盛られた内容とのアンバランス、福間健二の詩はそのアンバランスの上に成立している。そのアンバランスさをそれと感じさせなくなるまでに、詩のなかで、口語的なことばが生成、変容する。言い換えれば、彼はそのアンバランスを自らの詩のなかで生きる。「もらったのだ」「刺さる力」「刺さる理由」。「刺す」ではない。「刺す力」、「刺す理由」ではなく、受けとる側にとっての、その無力な、この世界に曝されている「窓辺のきみ」の側に立つところに福間の詩の発想がある。永遠なるものには与らないだろう口語とそれが代表するロックやラップなどのサブカルチュアへの親炙もそこに淵源がある。
 最終連、冒頭の連とのシークエンスの強い確認。「もらったもの」から「もらったのだ。」という確認へ、句点の強調がある(福間詩における句読点には意味がある)。ここには「夢」の継承と切断という問題がある。冒頭連の腐りはじめている「袋入りの夢」との関連。「きみ」は「他人の時間」と「刺さる理由」を「もらったのだ。」それは「痛くて痛くてたまらないからきみは甘い息を吐く。」のだ。この一行での飛躍と逆説も福間ならではのものだとしか言いようがないが、オーデンのアイロニーの影響もあるかもしれない。一挙に詩は明るさへ上昇する。「痛み」から「甘い息」へ、「キズ」と「屈折」から「魔法をかけて知らん顔」をして「おいしいビール」を飲む「きみ」へと。しかし、それは疑問だ。ここにあるのは希求のモードであって、現実のそれではないからだ。しかし、この詩をガザの「きみ」へ贈りたい一篇として読むことは不可能ではない。
 
(補足)新井豊美と福間健二は同じ国立市に住み、読書会や朗読会などに一緒に参加したことが多かった。ファーム、農場の意味だがFARMという名前(福間のF、新井のAR、水島のM)を福間が考えて、三名で連詩をつくる時のチーム名とした。2005年から2008年にかけてFARM名の全八篇の連詩作品が残されている。完成した連詩は国立の「奏」という音楽カフェで朗読披露した。

© Hidemi Mizushima  水島 英己

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2024.3.7【グリューネヴァルト頌】新井豊美(1935—2012)


 この祭壇画を見てもっとも心をひかれた部分がキリストの凄惨な磔刑像のリアリズムではなく 支えられた腕のなかで殆ど気を失った聖母の蒼白な顔でもなく それ自体はなにをも意味せぬ女の身体の一部分 かつての娼婦マグダラのマリアの背をおおう豊かな金髪であったのは不思議なことのように思われる。鼓動を止めた男の肉体の上に酸鼻に開く傷口にも頭部に鋭く食い込む茨の太い棘にも母の悲哀の涙にも 場面の劇的構成のすべてにわたしの関心はうすかった。ひとり 両腕を祈る形にさしのべ苦悩をあからさまにする現世の女の弓なりにしなう背中から腰へ 野獣の鬣よりも色濃く波打つ金髪は流れた。暗い空の下に荒漠と拡がる背景の 褐色を帯びた濃緑色の中世空間にはげしいコントラストとなって輝く一房の髪。その即物的な力が わたしをこの祭壇画へと引きよせていたのだ。
 
 復員した父をまじえたわたしたち家族の戦後の貧しい寄食生活の細部をいま思いおこすことはすでにまれである。
 その頃わたしは僥倖のように二匹の仔山羊を飼っていたのだが 母の出産を前にそのうちの一匹を父は屠殺した。父の振り上げたハンマーでみけんを砕かれた仔山羊が三、四歩飛び上がるようにして倒れ四肢をのばし全身を痙攣させて死ぬまでの一部始終をわたしは凝視していたからいまでも場面を眼の奥に再現することは容易だが その瞬間の幼いけものの悲鳴 鼻孔からどっと流れ出した鮮血の色を思うことはまれである。
 
 より美しい一匹を残し美しくない一匹の命を手放したことへのわたしの最初の罪の意識を反芻しくり返し手を洗う密かな性癖もいつか消えた。
 その山羊のすべてを食べつくし赤ん坊が生まれて わたしたち家族はあの戦後という時代を無数の小さな罪とひき換えに生き抜いてきた。
 
 死体がずり落ちてくる全重量を左右上方にのびきった腕の先端で掌に打ち込まれた犬釘が支え 裂けてゆく傷からしたたる血潮が横木の上にどす黒く凝固しはじめている。井戸端に吊るされた仔山羊は血を抜かれ皮を剥がされたちまち数個の肉片と化した。重い皮表紙の黴くさい頁を繰って描かれたひとりの男の殺害の現場に逃れがたくひき寄せられながらそのとき わたしはおしよせる死と罪の強迫観念から逃れて太陽の光に似たものの持つ生命力を本能的に選び取ろうとしていたのだろうか。ひたすら 金色の髪のリアリズムに心を奪われつづけた子供の無意識は。
 
 イーゼンハイムの この極限の構図のなかに女の波打つ毛髪のひとすじひとすじを執着をこめて描写した画家。あなたにとってその輝きの意味とはなにか。生きることの罪と生命の官能をつなぐ金色のほそいみちすじのありかが いまここにかすかに見えている。 
 この「詩」は散文詩だろうか、それともエッセイだろうか。「この祭壇画を見て…」という始まりは、エッセイ風の説明をはねのけ、すぐさま作品の内部を開くような仕方なので、読者はとまどいながらも、この語りに巻きこまれるしかない。しかし、人が普通イメージする散文詩というものからは離れている。特に、この作品は自伝的なエピソードが重要なモチーフになっているので、取り澄ましたような散文詩の語りとは異なり、切実な告白の調子が中心になっている。この詩は詩集『いすろまにあ』(一九八四年)の掉尾の「ザ マドンナ ウイズ ザ モンキィ」という長詩(これも散文詩とは異なると思うので、こう呼ぶ)の前にある。そして、この詩集の終わりの二つの長詩はともにヨーロッパ絵画、それも聖書に関連する絵画を共通の題材にしている。「この祭壇画」とは、フランスのアルザス地方南部のコルマールにあるウンターリンデン美術館所蔵の「イーゼンハイムの祭壇画」と一般に呼ばれているものである。この美術館はフランスでもルーブルに次いで多くの人が訪れる美術館だと言われている。それは、グリュ—ネヴァルト作と言われる、この祭壇画を見る(この祭壇画は、元来は死病にかかった病人の癒し、魂の救済のために、イーゼンハイムにあった自分たちの修道院の一角を病院として運営するに際して、アントニウス教団が依頼して制作されたもの。16世紀初頭か。従って、病者たちが訪れ、この祭壇画に救いを求め祈るようにして見た)人々が多く来館するからだ。
 遠回りになるが補足しておきたい。この祭壇画はパネル状になっている。閉じられているとき、最初に開いたとき、二度目に開いたときの三回で、それぞれに描かれた絵画が違う。普通は閉じられたままの状態で展示されている。そこに描かれているのが有名なキリストの磔刑の場面で、新井さんの詩のモチーフである。ちなみに、そのパネルが中央の蝶番によって開かれると、場面が変わって、左から右へ、「受胎告知」、「神の御子の誕生」の二場面と右端の「キリスト復活」の絵が現れる。その衝立を二度目に開くと、三番目の光景が出現する。グリュ―ネヴァルトの左右の端の二枚の絵(左は聖アントニウスの聖パウロ訪問、右は聖アントニウスの誘惑)に挟まれて中央にはニコラス・アグノーというアルザス地方の彫刻家の一四九〇年制作の、聖アントニウス像を中心に聖アウグスチヌスと聖ヒエロニムスの三体の彫刻が刻まれている。祭壇画は立体的な衝立のようなものだから、それを支える基部がある。プレデッラ(predella)と呼ばれるが、そこには最初と次のパネルの絵は同じ「キリストの埋葬」図である。ここにも二人のマリア(聖母とマグダラのマリア)が描かれるが、大きな空の石棺を背後にして埋葬前のイエスを悲しそうに見ている。彫刻が現れる最後のパネルではプレデッラはキリストと十二弟子の彫刻になっている。この全体でひとつの物語、イエスの受胎告知から誕生、磔刑、埋葬、復活が描かれ、そして初期キリスト教の伝説的な修道僧などの物語をも包摂した世界が表現される。誰よりも、これを見る巡礼者たち、その多くであったろう病者たちに様々な意味で強く訴えるものになっている。
 新井豊美の「グリューネヴァルト頌」に眼を移してみる。「この祭壇画を見てもっとも心をひかれた部分がキリストの凄惨な磔刑像のリアリズムではなく 支えられた腕のなかで殆ど気を失った聖母の蒼白な顔でもなく それ自体はなにをも意味せぬ女の身体の一部分 かつての娼婦マグダラのマリアの背をおおう豊かな金髪であったのは不思議なことのように思われる」。Aではなく、Bでもなく、Cであったという。そして、そのCであったのは不思議なことのように思われる、ともいう。注釈をつけることで、否定を重ねた次の「ひかれた部分」の表明の強さが半減するように思われるが、そうではない。かえって今現在まで、その「不思議」さが持続しているということを言いたいのだろう。詩の四連目で、子供の「本能的」とか「無意識」とか言われるものが、この不思議さの答えのようにして語られるが、それを出すためにも、この否定法とそのあとの留保といった「構文」が続く必要があったのだろう。それは批評家としての論理にもこだわる新井豊美の資質のあらわれと言えるかもしれない。
 絵画をモチーフにした詩は、最近では河津聖恵の『綵歌』があり、若冲という江戸中期の絵師の絵に焦点をあて、詩で取りあげたそれぞれの絵についての詳細な解説を詩集の終わりに掲載するというもので、一つの絵に対して一つの詩が応答するという明確なコンセプトで書かれている詩集である。新井の、この詩はそういうものではない。グリューネヴァルトの「イーゼンハイムの祭壇画」についての解説もない。ここで「かつての娼婦マグダラのマリアの背をおおう豊かな金髪」と言われるものを、祭壇画の写真などで確かめる必要はないのだろうか。そう思う読者のために説明に陥らぬポイントをおさえた描き方が求められる。キリストの磔刑そのものに重点を置かないとする否定の叙述はここでもで活きる。「鼓動を止めた男の肉体の上に酸鼻に開く傷口にも頭部に鋭く食い込む茨の太い棘にも母の悲哀の涙にも 場面の劇的構成のすべてにわたしの関心はうすかった。」という叙述の「関心はうすかった」でくくられるが、「関心はうすかった」という表現が生きて、次に来るものを、大いに関心があるものとして予測させると同時に、「うすい」としてくくられた部分も、決してうすくはない描写がなされているのが分る。キリストは男と、聖母は母と言い換えられることで、この磔刑の場面が聖書的なものでありながら、もっと「わたし」に身近なものとして引きよせられる。そして、視点が「マグダラのマリア」に止まり、彼女は「両腕を祈る形にさしのべ苦悩をあからさまにする現世の女」としてとらえられ、その「弓なりにしなう背中から腰へ 野獣の鬣よりも色濃く波打つ金髪は流れた」と、「ひかれた部分」としての「金髪」が動きを伴って強調される。次第にグリュ―ネヴァルトの「リアリズム」に追いつこうとするかのようにイメージが増強され、この長詩の主題にかかわる具体的な「金髪」が次のように前景化される。「暗い空の下に荒漠と拡がる背景の 褐色を帯びた濃緑色の中世空間にはげしいコントラストとなって輝く一房の髪」。その「即物的な力」こそが「わたしをこの祭壇画へと引きよせていたのだ。」
 新井豊美は自分でも絵を描いた。また銅版画も嗜んだ。この長詩はイメージの濃淡や背景の色の描写などに、彼女の美術に関する素養の深さを感じさせる。先述した『いすろまにあ』の最後の長詩「ザ マドンナ ウイズ ザ モンキィ」はデューラーの同名の銅版画の聖母子像のものである。また、同詩集の巻頭の長詩「最初の一滴からのあお」は絵を描く過程がエクリチュールの過程に重ねられ、視覚、皮膚感覚などが混合した動的な変化が描かれている。島尾敏雄の「夢の中での日常」では身体が胃を中心に裏返しになる場面があるが、ここでは「身につかぬ母性をきゅうくつな上衣を脱ぐいさぎよさで脱ぎ捨てる」などという印象的な激しい表現もあり、新井豊美の「母性」への感覚と考えの複雑さを思い知らされる。『いすろまにあ』の前の詩集、第二詩集『河口まで』(一九八二年)の「鐘」は、父が残して出征した多くの画集(この画集は、本作でも言及される「重い皮表紙」の美術全集の一冊と同じもの)を見て過ごしたという子どものころの絵から受けた印象が語られる。「なかでも十五、六世紀のドイツ、ネーデルランド地方の絵画や、日本の中世の絵巻物の印象は強く、それを見るときには少なからぬ罪障感を子供心に味わっていたと思う。(中略)軟体動物の気味悪い眼球や生殖器を連想させるブリューゲルの暗い絵のその部分、グリュ―ネヴァルトの生々しい磔刑の像、怪奇で幻想的なボッシュの楽園のイコノグラフィの世界、いっそう貧しく救いのない日本の六道絵などに向きあっていると、それらの背後にある、あの血生臭い闇から、もののけじみた得体の知れない気配が立ちのぼり、この世の入口に立ったばかりの心に黒い瘴気を吹きかけてくるのが感じられた。」とある。新井が絵画から得たものは何か。自らを引きこんでやまない異なる世界の魅力、そこから立ちあがるものへのアンビバレンツな感情などに深く捉えられている。イメージと感情、イメージと思想、視覚、知覚を中心に受けたとったものをどこまで深めていくことが可能か、それが彼女の詩法であると言えると思う。
 もう一つの新井にとって大切なモチーフが次にやってくる。「復員した父をまじえたわたしたち家族の戦後の貧しい寄食生活の細部をいま思いおこすことはすでにまれである。」という一文から始まる連と、その次の連との、「自伝的なエピソード」とそれについての思いが書かれた部分である。新井が「復員」、「戦後」を背景とする時代と空間を生きた詩人でもあったということは忘れてはならない。ここでも「いま思いおこすことはすでにまれである」と否定的な注釈がつくが、それは逆に次の凄惨な出来事を忘れられないものとして浮き彫りにするものだ。この長詩を語る主格「わたし」は、ここで描かれたことがらから脱け出した「現在」の「わたし」である。否定的、相対的、消極的な感想も、その「わたし」からなされていることに注意したい。それは新井が一方的に感情を歌いあげる詩人ではないということでもある。「わたし」は子供時代、「父」が復員してきたばかりの貧しい寄食生活の時代に、「僥倖のように二匹の仔山羊を飼っていた」。父親は長女である新井に山羊の飼育を任せていたのだろう。一匹は美しく、もう一匹は美しくなかった。出産の迫っていた「母」のために、父は一匹を殺して栄養を少しでもつけてやろうとした。そこで「わたし」に父は、どちらか一匹を選べと言ってきたのだ。「わたし」は「より美しい一匹を残し美しくない一匹を手放した」。この父からの選択の命令はこの詩では書かれてないが、当然それはあったし、何か旧約的な雰囲気も漂う。「わたし」の選択の結果、父の振り上げたハンマーに「美しくない一匹」は「みけんを砕かれ」、「三、四歩飛び上がるようにして倒れ四肢をのばし全身を痙攣させて死ぬ」。その「一部始終をわたしは凝視していたからいまでも場面を眼の奥に再現することは容易だが その瞬間の幼いけものの悲鳴 鼻孔からどっと流れ出した鮮血の色を思うことはまれである。」(1)。「わたし」はこのことから「最初の罪の意識」を抱えることになるが、そのことを「反芻しくり返し手を洗う密かな性癖もいつか消えた。」(2)。(1)の「思うこと」や(2)の「性癖」は、まれになり、いつか消えたのである。なぜなら、(1)のような出来事、「無数の小さな罪」と引き換えに「あの戦後という時代」を生き抜かねばならなかったからである。ここで対比されているのは、戦後の生の困難さと醜い山羊を犠牲として差し出したという「わたし」の罪の意識だろうか。あるいは生きるためには「無数の小さな罪」を犯さざるをえないということの強調だろうか。想像される対比や強調の他に新井豊美は異なるものを見出そうとしているのではないか。四連目、まず、磔刑の男と井戸端に吊るされた仔山羊の対比があり、「わたし」が引きよせられた「金髪」についての理由が「おしよせる死と罪の強迫観念から逃れて太陽の光に似たものの持つ生命力を本能的に選び取ろうとしていたのだろうか。ひたすら 金色の髪のリアリズムに心を奪われつづけた子供の無意識は。」と顧みられる。子供心に、無意識のうちに「太陽の光に似たものの持つ生命力」が感じられ、その「髪」に心を奪われたというのだ。前掲の「鐘」では「罪障感を子供心に味わっていた」とあった。それは「おしよせる死と罪の強迫観念」と関連するものだろう。繰り返すと、殺害された男と井戸端に吊るされた仔山羊の流す血という「死と罪の強迫観念」からの救済として、それは無意識のものであるがゆえに大切なものだと私は思うが、「金色の髪のリアリズム」が見出されたのである、というか、それと出会ったのだ。この子供は。
 最終連の、この磔刑図の画家への「あなたにとって輝きの意味とはなにか」という問いは、詩人自身への自問でもあるだろう。磔刑図のなかのマグダラのマリアの髪の輝きの意味するものとは「生きることの罪と生命の官能をつなぐ金色のほそいみちすじのありか」であり、それが「いまここにかすかに見えている」とある。「生きることの罪」を強調し「生命の官能」を押しこめ疎外した中世的な観念や宗教的なイデオロギーからの解放がルターによる宗教改革を経てドイツ・ルネサンスなどの画家デューラーやクラーナハ(彼への言及も「鐘」にはある)、そしてグリュ―ネヴァルトなどのリアリズムに見られるものだとすれば、この磔刑図におけるマグダラのマリアの金髪の輝きの描写も、その影響かもしれない。しかし、新井の言う「生きることの罪」、「生命の官能」が具体的には何を指すのかはよく分からない。詩に即して考えると、前者はマグダラのマリアの娼婦としての生であり、この子供の山羊殺害の際の選択であり、父の命令であり、父の山羊殺害であり、そうして生き延びざるをえない人間の生の悲惨さであろう。そこから考えて、後者はそうした生とは反対の、生の喜びと快楽、自由、解放、性愛の肯定などへつながるものだろうか。子供の眼を通して、そこに引きよせられずにはいられないものとして新井豊美の出会った輝く「金色の髪」とはその二つを一身にしたものであり、その実存としての「リアリズム」の発見であったのだと思う。このような認識が新井豊美の当時書き続けていた『苦界浄土・私論』(あんかるわ・一九八〇~一九八五)の考えと共通するものであることを指摘しておきたい。そして石牟礼道子の「苦海浄土」というタイトルそのものが、「生きることの罪」と「生命の官能」をつなぐ「金色のほそいみちすじ」の「ありか」を現わすものでもある。絵画を見ること、総じて「見ること」は大きな転機を人にもたらす。
 
(後記)「二つのコルマールの間」という題のエッセイがジョン・バージャーの『見るということ』(ちくま学芸文庫)にある。バージャーは1963年と1973年の二度、この祭壇画を見にコルマールを訪れている。前者の訪問時は「革命の予感の時期、私は残存していた芸術作品を過去の絶望の証拠として捉えた」、1968年の世界の昂揚と続く絶望を経験して、1973年の再訪の時、「私は同じ作品を奇跡的な供物、絶望をすり抜ける小道として見る」と書いている。今はどういう時期だろうか。戦争と混乱の時期か。新井さんは生きていたら、どうこの祭壇画を見直すだろうか。詩の引用は『新井豊美全詩集』(2022年・思潮社)に拠った。
© Hidemi Mizushima  水島 英己

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