▼プロフィール▼

河津聖恵

時々猿や鹿にも出会う京都の山の麓で暮らしています。故郷の東京でも、武蔵野の自然の残る町で育ちました。どちらでも生活の中で木々のざわめきを耳にしつつ。だからか詩を書きだす時、葉ずれのようなものを内部に感じます。まだ言葉ではない、あるいはもう言葉ではないざわめきの気配。全貌不明なその森は、死者の言葉で出来ているのかとも。私が語るのではなく言葉が語るーいつかそんな詩を書いてみたい。あのざわめきに迎え入れられたい。

倉本侑未子

一篇の詩に向き合うとは、薄靄の先にあるものを確かめようとすることではないでしょうか。対象に合わせて望遠鏡や顕微鏡を調節するごとく、自らの感度を高め波長を合わせていくと、少しずつ視えてくるものがあるような気がします。詩の行間や詩人の心の襞まで能うかぎり酌み取りたいと希いながら、徒歩で旅するように一歩一歩、時には迷いつつ読み進めていきたいと思います。詩集『真夜中のパルス』『星綴り』

加部洋祐

歌集『亞天使』、『未来世』。文藝別人誌「扉のない鍵」、現代短歌舟の会機関誌「舟」、詩誌「δ」所属。自分に出来ることは限られていますが、一つ一つの作品と向き合いながら、ゆくゆくはその傾向が遠く隔たってしまったような──どのような必然性に因ったにしろ──作品と作品との間に、対話の可能性を模索してゆくことが出来ればと考えています。

水島英己

季節は春を迎えたのに、能登半島の地震被災の苦しみは続いている。寒さの中の被災者、瓦礫に埋もれた人々のことを思い続けていよう。「珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり」と家持は巡行の歌で、珠洲の海の朝の光と長浜(氷見)の月を描く。能登の光と輝きを思う。またガザの惨状も。想像の根底に困苦の人々を置き、何が書けるかに悩みながら詩を書きたいと思っています。

石川樹林

詩誌「コールサック」会員
退職後に詩の投稿を始め、目下勉強中です。3・11の後に出会った講座は河津聖恵さんでした。「詩は、『社会のカナリア』『言葉の芸術の頂点』」という詩の使命感のような言葉が今も残っています。昨冬の講座は戦争をくぐった詩人たちを呼び寄せてくれました。
私も心が震えた先人たちの詩に学び、この旅の景色を大いに味わうために出発します。

山口修

「・・・・・歌え わが友よ それらの歌が人々の道に掲げられた小旗となり/だれのうちにも悲哀を残さないで/静かな確信を吹込むように。/きみの歌がそうした運命をになうことを希う。//きみの仕事が謙虚で大きなものとなるように/たとえ無名の老転轍手のように/きみが無名のまま終ろうとも。」(S.カプチキャーン『車中の思い』箕浦達二訳より)。詩を読み、詩を書く方々とこのような思いを共有できれば幸いです。

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