2024.8.24(加部洋祐)
「藤田武作品集」(「現代短歌雁」58号/雁書館/2004年8月)より。前回はこの作品集の巻頭を飾る連作「黒き掌」の歌について書いたが、今回はそれに続く連作「赤き坩堝」(1955年)中の小題「受胎」より引いた(注1)。「黒」に対する「赤」。前連作への呼応という関係はむろん相当に意識的なものだと言えよう。
今回論じる歌は、敗戦からちょうど10年目に発表された歌だ。まずは「薊の葉に蔽はれたる地」という初句と第二句──これに読者はなにを感じるだろう。この歌が発表された当時と、それから約70年も経った現在では読者の感じ方も、もしかしたらずいぶん異なるのかもしれない。が、それを念頭に置きつつも、この初句と第二句とに戦争によって失われた緑や美しい自然の復活の賛美を読み取ることはほぼ不可能だろう。棘の多い「薊の葉」(花ではなく、葉の強調)、それに「蔽はれたる地」という詠み方は、戦中からの受難が未だ変らず続いているかの観すらあり、それを第三句「無惨にも」が決定的なものにする。「無惨にも」が直接掛かっているのはむろん直後の「翔びたち」なのだが、藤田はイメージの連鎖を当然計算しているので、この「無惨にも」はそれまでの初句と第二句で詠まれた景をも修飾するからだ(注2)。戦後10年が過ぎても、相も変わらぬ苦痛の世界。そんなところには、どうしたって、もうこれ以上はいられない。そんなところからは「翔びた」たねばならない(注3)。
そして一切が転倒する。普通、人は「翔」べないし、男性は妊娠できない。詩の上ではそんなことは自由ではないか、と言われるかもしれないが、写実主義の近代短歌において、それは通じない上、作者と作中主体は同一視される(注4)。さらにこの歌は飛翔するものというイメージと、「悪を受胎」という言葉による連鎖および反転(「悪」はその正反対である「善」を直ちに連想させる)から、聖母マリアの処女懐胎をバックボーンとして想起させるが、聖母マリアの処女懐胎は天使ガブリエルが天から地上に使わされて告知するのに対して、この歌では逆に「受胎」するために地上から天へと人間が昇ってゆくことになる。しかもそこで目指される「受胎」はキリストという「善」ではなく、それとは真逆の「悪」だというのだ──こんなふうに、この歌はなにもかもが転倒しているのだが、むろんこれは全て藤田が意図したことだ。
必然的に問いが生じる。なぜ、男性であるにもかかわらず「受胎」する必要があるのか、しかもなぜ「悪」を?──それを知るためには、まず空を見上げねばならない。歌人が「翔びた」った先に広がる空を。今こことは別のその空で、天で、かつてなにが起こったのか。キリスト教の話が上に出てきたから、聖書でも参考にすべきなのか? いや、やはり当時の時代状況か? それとも読者である私たちは早くも自分たちの実存をこそ問うべきなのか?──それらよりも私はまず、藤田の歌に出てきた人々を訪ねるのがよいのではないかと思う。作者が同じなのだからということもあるが、本当の理由を──全然別のテクストからの引用になるが──述べるならば、「過去の真のイメージは、ちらりとしかあらわれぬ。一回かぎり、さっとひらめくイメージとしてしか過去は捉えられない。認識を可能とする一瞬をのがしたら、もうおしまい」(ベンヤミン「歴史の概念について」野村修訳)だからだ。
前回扱った「黒き掌」の「原爆の街に」の掉尾に、次のような歌がある(歌中の「凝視」に「みつ」のルビ)。
背はあかく絣の斑点に烙き爛れ神を凝視めしか首ながく死ぬ
言うまでもなく、原爆によって虐殺された一人物を詠んだ歌だ。遺体が残っているということは、前回扱った「銀行の石段に影を刻みつけ〈絶望〉のみ黒き掌を垂れて来し」という歌に詠まれていた「影」とは異なり、爆心地からは多少は離れたところにいたのだろう。この遺体は、おそらく実際には横倒れになっていただろうと推測されるが、「神を凝視めしか首ながく」という言葉の繋がりが、原文は縦書きということもあり、方向の垂直性を強調してやまない。そう、この人物は死の直前まで、おそらくは空を見上げていた。原爆を搭載した米軍機が侵入してきた朝の広島の空を。神とはこの場合なにか。それはこの歌で、人知を遥かに超えた絶大な破壊力に関わることは確かだ。人間を創造し、慈悲を与え、人間の愛が向かう至高の存在としての神からは、それは一見、あまりにもかけ離れている。けれども少し考えれば、その爆弾を作り出すに至った文明は、そうした神への信仰を基盤として成長してきた文明であるということは疑う余地がない。その神は、これほどまでの破壊と殺戮を許すのだろうか?──この歌は、まずそうした極限的な問いを問うている。「首ながく」の「ながく」がその問いが永久の問いであることを表す。その一方で、次のようにも考えられるだろう、即ち、神は世界に終焉をもたらし得るような絶対的な力以外の一切を奪い取られて、ついに近代機械文明による人工物にまで成り果ててしまったのだ、と。ニーチェが「神は死んだ」と言ったとき、神はまだこれほどまでの最悪な形で死んだわけではなかった(注5)。「薊の葉に~」はなにもかもが転倒している歌だと私は上述したが、藤田がそのように詠まねばならなかった現実それ自体が、そもそもどうしようもないほどに根本的に、徹底的に、転倒していたわけなのだ。──いずれにしても、さらに問われなければならないだろう、なにゆえこれほどまでの「悪」=至高存在の破滅的な転倒が生じてしまったのか、と。しかし、その問いは、そもそもどのようにして問えばよいのか?
藤田武は、その問いを「薊の葉に蔽はれたる地」の上で、どれだけ問うても無駄だと理解したのだろう。転倒した神のことは、転倒した神自身に訊きに行く他にない、つまりこの地上から「翔びた」つ他には。だから第三句「無惨にも」は、神に対してこのような行動に打って出なければならない人類の惨状そのものでもあり、そんな人類の一人である歌人がどうしてその「無惨」さを免れることができようか、ということをも意味する。しかし、なにゆえこれほどまでの「悪」=至高存在の転倒が生じてしまったのか、という問いは、そもそも理性や通常の言葉によって問うことが可能なのか。至高の存在が転倒したのに、理性や言葉、まして写実主義的なタイプの言葉は都合良く無事のままで済むのだろうか──そんなわけがないだろう。
だからその問いや、それに対する答えをなんとしてでも得ようとする試みは、もはやそれらの手の届かない暗黒の領域において行われる他ない。暗黒の領域における、暗黒の言葉を用いて(この歌を形作る言葉のことごとくが転倒しているのはその現れであり、それは暗黒の言葉の中でも比較的明晰なタイプだと言えるだろう)。その試みは「悪を受胎せむとす」という結びの言葉に集約される。「受胎」を他から告知してもらおうというのではない。自らをして、神に起こったことの真実へと肉迫し、その真実、それについての知を、自らに「受胎」せしめるということ(どうやって、と訊くのは愚問だろう。歌人に歌以外のなにがあるというのか。そして全てが転倒している中で、男女の肉体的な交合を必要としない「受胎」というこの点だけが、聖母マリアの処女性を依然として維持している。不可思議にも。もしかしたら、必然的にも)。根底から理性や言葉が覆されてしまった状況において、その状況を引き起こした至高存在の転倒に「なぜ」という問いを以て対峙する者は、このように自らの身体、自らの存在の深奥において、その「悪」を歌として再創造することが要求される。このような再創造=「受胎」によって、歌人はこの「悪」を生ぜしめた10年前のかかる破滅的転倒の実相にようやく触れる……ことができるはずに違いない。こうして「キリスト」ではなく「悪」を「受胎」するということ──むろん母胎の性など今さら問題になりようがない──、絶大な破壊と虐殺の状況下において、〈希望〉(キリスト性)がもし、まだ可能性を有するのだとしたら、それはこのような「受胎」にこそあるのではないかと私は思う。この「悪」の実相の把握──むろん理想を言えば究明──それ無くして、以降の人類の未来が真にひらかれることがないのは明白なのだから。それにしても、この極めて大それた「受胎」はそもそも成功したのか?(「受胎せむとす」なので、それはあくまで意思表示にとどまり、その結果までが詠まれているわけではない)──それについては、その後の藤田の歌をじっくりと見て判断してゆくしかないだろう。
続いて「薊の葉に~」の歌についての、もう一つの解釈を紹介したい。この記事は私の個人的な見解を書きさえすればよいのだと、もとより思ってはいるのだけれども、その上で、これを紹介する理由は、このもう一つの解釈にも抜き差しならぬ真実があると思うからだ。それは村木道彦による次のような解釈だ(前回同様、「現代短歌雁」58号の村木の論考「状況と存在の狭間で」から引用する)。
「不本意な“戦後”の現実に対する妥協のなかにしか生きる術がないとき、その生き方は明らかに「遺言執行人」としての在り方に外れたものだった。「悪を受胎せむとす」にその痛哭の思いが示される。彼の生もまた激しく「血を噴く」ことによって、購われたものである。生身の若さはいつまでも喪服のままであることに耐えられない」
私の読みが「遺言執行人」(鮎川信夫の詩に由来するこの言葉については、前回の藤田武についての記事の注にて少しばかり触れた)としての藤田武の、むしろその本領を示していると言い得るならば、上に引いた文章の中で、村木はその全く逆のことを「薊の葉に~」の歌から読み取っていることになる(注6)。そして私は村木のこの解釈は決して疎かにされてはならないものだと考えている。戦争によって抑圧された青春。上述の抜き差しならぬ真実とはこのことだ。前回の記事で私は「兵学校時代における死との対面が、自己との対話を求めさせ、作歌への契機となった。」という一文を藤田の自筆年譜から引いた。ここから思想的なものばかりを読み取ろうとすることは偏ったやり方で、藤田は私的な会話でもっとあけすけに、童貞のままで死んでたまるか、というこの当時の思いを語ったことすらある。童貞のまま死んでたまるか、という言葉だけならば、別に戦中・戦時下に関係なく、それなりに多くの人が相応の共感を込めて言うことができるようにも思うが、それが戦時下の兵学校における思いともなれば、そのエロスとタナトスの結びつきの強度と深度は測り難いものがある。村木の言う「喪服のままであることに耐えられない」とは兵学校の頃から続く、こうした藤田の心情の強度と深度とに基づく以上、真理であらざるを得ない。失った青春をなんとしてでも取り戻す。それがそのまま「悪」の「受胎」であるということは、旧来の道徳(それは戦争の下地を支えるという働きもあった)にはもう絶対に縛られないという強い決意でもあるだろうし、また「悪」という表現には、例えば『チャタレイ夫人の恋人』の裁判がすでに始まっていたこと等も、もしかしたら関係しているのかもしれない。そしてなによりも、青春を知らずに戦争で死んでいった者たちからすれば、戦後に青春を謳歌しようとしている者は、極論を言えば裏切り者にすらなるのかもしれないからだ。
このように「喪服のままであることに耐えられない」は、どうしようもなく藤田にとって真実だと言えるはずなのだが、それは同時に村木の論旨に従うと「その生き方は明らかに「遺言執行人」としての在り方に外れたもの」となるわけだ。──では、結局どうなのだろう、私は「薊の葉に~」の歌を、「遺言執行人」としての藤田武の本領発揮の作品と評したわけだが、それは誤りだったのか? むろん私は誤りとは思っていないし、そう思わないことの論拠は同じく「兵学校時代における死との対面が、自己との対話を求めさせ、作歌への契機となった。」という当時の藤田の心情にある。確かに「薊の葉に~」は戦死者たちへの直接の挽歌ではない。が、あの戦争、そして最後に空より投下された空前の爆弾。このような恐怖をも絶した事態がなぜ起き得てしまったのか──これはあの戦争の死者たち、空襲や原爆の犠牲者たちの声なき声でもあるはずで、歌人が「悪」を「受胎」しようとしたのは、まさにこの声なき声=「遺言」を引き受け、それに応え、それを「執行」するためだったというのが私の考えだ。「薊の葉に~」の歌についての村木の見解は、私の知る限り上記の引用で全てなのだが、少なくとも私は当該の引用箇所が、私の読みを否定する根拠になり得るとは考えていない。
けっきょくは次のように言うしかないのだろう、つまり、「薊の葉に~」の歌は、「「遺言執行人」としての在り方に外れたもの」であると同時に、「遺言執行人」の本領を体現する歌なのだ、と。藤田の歌人としての出発点にある上述のエロスとタナトスの強烈な結合のうち、エロスの側が強調されれば村木の解釈となり、タナトスの側が強調されれば、おそらく私の解釈となるのだろう。この二つのどちらの解釈においても、(それぞれの解釈において)歌人は「悪」の「受胎」を目指したわけだが、それと同時に、解きほぐし難い、このアンビバレンツもまた自らの深奥に「受胎」したのだと言える。前回、「銀行の石段に影を刻みつけ〈絶望〉のみ黒き掌を垂れて来し」を論じたとき、私は藤田は生と死との間に横たわる断絶と、危機的状況下における生と死との近しさを同時に自らの内部に受け入れたとも書いたが、これらのことは皆同じではないにしても、いずれも戦中とそれに続く戦後の時代において、藤田が自己の全存在を賭して、戦争とそれが生み出した原爆を筆頭とする大量殺戮、そしてそんな状況に根底から規定された自らの生と対峙したことの結果に他ならないのは確かだ。そしてその後、藤田の歌は徐々に現実の時事的な局面から、少なくとも表面的には乖離してゆく傾向を見せ始める。覚醒した写実的な現実の閾下の世界──「死」と隣接する「睡り」の、「夢」の世界が、暗黒の言葉のみが囁く、剥き出しのエロスとタナトスの世界が姿を現し始める。それについては、今後書いてゆきたいと思う。
*
注1)「受胎」は「赤き坩堝」中の最後の小題であり、以下の四首によって構成される。
瞼の底に曇りなきひかり射し不屈にもわが棲むは黝き運河の巣なり
流刑地の氷原にたてる樹の群の幹裂くる音夜を徹して消えず
薊の葉に蔽はれたる地を無惨にも翔びたち悪を受胎せむとす
胸腔にひとしづくの水泌みて痛し遁走すべき地の翳をうばはれしより
全ての歌が字余りの破調であり、藤田の圧し殺した想念がひしひしと伝わってくる。なお、一首目の「瞼」には「め」のルビが振られている。
注2)当時の社会を藤田がどのように捉えて歌に詠んでいたか、「赤き坩堝」から何首か引いてみよう(二首目の「肢」に「あし」のルビ、六首目の「壊」に「くづ」のルビがそれぞれ振られている)。
あかしやの花こぼる巷に争議あり素直に働けど親を養へず
飲み喰らひ詩を語りきて地下道に肢なき人間と出逢ひたり
朝鮮に戦死せる兵のしかばねか花環なく駅は氷雨に暗し
メーデー公判のために殖えたる独房のあることは世の誰もが知らず
死の灰の微塵にくるめきくる空に雁の影あり春はくらくして
肺を壊し肋骨を蝕ばみくろきガスは泡だたむ酷き神の響きに
依然として続く貧困、行き場のない人間(おそらく帰還兵)、日本の戦争がようやく終わったら今度は朝鮮で戦争が始まり(当然人が死ぬ)、貧困から脱出するために闘争する労働者は独房にたたき込まれ、原爆によって汚染された自然はなかなか元に戻らず、復興した工業はさっそく工場から公害を垂れ流す(注1で触れた歌も加えれば、「運河」はこの公害で「黝」い)──「薊の葉に蔽はれたる地」とは、まさにこのような「地」だった。
注3)とはいえ、藤田にとってもこの飛翔は容易ならざることだった。それは二年前の「黒き掌」の中の「掌に暗く涸れたる亀裂の河ありてはくてうなど翔立つこともなく」(「翔」に「とび」のルビ)や、「思惟の中にくろき氷河の裂目ありて翼なき吾れを陥しめて止まず」(「陥」に「おと」のルビ)といった歌からもわかる。
注4)前衛短歌が開拓した視座に、(その反写実主義と或る程度符合する形で)作者と作中主体間における暗黙の同一性の拒否がある。けれども私は、この拒否を表現するために藤田が「薊の葉に~」を詠んだとは思っていない。むしろ作者(の男性)性を強調している観すらある。また、かといって、この歌に詠まれている男性の「受胎」には同性愛的なニュアンスもほぼ感じられない。では、なんのためにこの歌はこうした表現を用いるのか──それについては、本稿の本文にて明らかになるはずだ。
注5)こういう反論があるかもしれない、この記事の書き手(加部)はこの歌の「神」をキリスト教の神として解釈しすぎている、と。確かに当時の状況だけを考えれば、最後の最後まで国家神道の現人神=天皇のことを念じて死んでいった愛国者も少なくなかったかもしれない。ただ、藤田武という歌人が反戦・反権力(反天皇制)の立場を一貫してとっていたことを重視するならば、「背はあかく~」に詠まれた「神」をそのような「神」として解釈することはやはり難しいとしか言いようがない。余談になるが、(これもほぼ終始一貫したことなのだが、)藤田は西洋の神話や伝説を時おりに歌に取り入れたのに対して、戦前の現人神だとされた天皇にしても、日本神話の神々にしても、およそ日本の神(神話)を少なくとも素直にそのままに歌に詠むということがない。藤田の歌は初期を過ぎると、そのときそのときの時事的な言葉を歌に詠み込むことが徐々に少なくなってゆき、その語彙の比重は伝統的なものや文学的なものに回帰し始めるのだが、他方で平易なイメージには全く還元不可能なそれらの歌は、日本神話の残骸たちによる不気味な囁きのようにも解釈できるかもしれない。
注6)なお引用中にある「血を噴く」とは、「黒き掌」の中の藤田の歌「都市は昏く下水の暗渠をあたためむ発芽に血をふく樹の翳の下に」(「都市」に「まち」のルビ)のこと。この「血を噴く」というモチーフは藤田にとって重要であり、後年の「日日の翳負える時すぎ没しゆく終末にふたたびは血噴け緋桃よ」(連作「夢の樹のなかで」1969年。なおこの頃にはすでに藤田は旧仮名遣いから新仮名遣いに移行している)等にて、完成度を突き詰めつつ再び現れることになる。
© Yosuke Kabe 加部 洋祐
1. 旅の支度──「翠の鳥」のポエジーについて
詩人にとって、詩を書くというのは、どのようなことなのだろうか?──私は出発点が短歌であったから、最近特に、しばしばこうしたことを思う。短歌には定型という確固たる土台があり、そこに向かって、それと一体化した言葉を書いてゆく。けれども詩は?──そんな疑問に倉本侑未子の詩集『星綴り』(七月堂/2023年1月)の表題作は、静かな光を投げかけてくれる(下記引用の丸括弧内はルビ)。
「藍色のインク壺に/星明かりが蜜を注(そそ)ぐたび/薬草色に染まる羽ペンには/いつしか翠の鳥が宿る//朝を生む夜の長さ」「癒えがたい無数の傷口を/いつか差す光の受口へと/非力な翼でほつほつと/この星をたどり なぞり/吐息をかけては誮(やさ)しさで綴る」
倉本にとって詩を書く主体である詩人のポエジーは、ここでは「翠の鳥」に喩えられている。詩を書くためのペンの羽は「薬草色」で、「翠」および「藍色」(のインク壺)と響き合い、それは「無数の傷口」を「いつか差す光の受口へと」異化する力を秘める。ペンを浸す「藍色のインク」は本質として「星明かり」であり、「羽ペン」は「非力な翼」であっても「翠の鳥」の羽ばたきとなり、「朝」という詩の完成に向けて「夜」(夜空)に懸命に「星」を綴ってゆく──このように「星綴り」は、本稿冒頭の私の問いに一定の答えを与えてくれる。つまり、ここでは夜空に言葉を星(星座)として綴ってゆくという営為がそれなのだが、こうしたことに直面して、私はこの行為がとても遥かな、そして途方もないことに思えて、気が遠くなる思いがする……。夜空とは、それは闇だ。無限の空虚だ。歌人にとっての定型が確固たる土台であったことに比べて、全く、なんという事態だろう……。土台の代わりに言葉が向き合うべき場所が無限の空虚だとは……! 有の代わりが無とは……! しかしそれゆえにこそ、倉本のこの詩は、ひときわ美しい静謐な星の光となって、私の心へと届くこともまた確かだ。
では、倉本侑未子において詩を書くということは、無限の暗黒に言葉を星=光として綴ってゆくことと全面的にイコールなのかというと、どうもそれだけではないようだ。
X ─或る闇の物語─
Ⅰ
君の体内において
僕という濃度を高位安定させようと
試みたのは本能的欲求からか
あるいは僕の奸計だったのか
どちらでも構わない
いずれにせよ
君が僕への依存症に陥らなかったのは
習慣性をつくるほどの毒性が
僕にはなかったからか
それとも君が日ごとに僕への耐性を
強めていったせいなのか
こちらの方がよほど興味深い
さ迷ってばかりの君を
周りから固めてしまおうと
贈りつづけたプレゼントの燦めきは
日に日に減衰するとともに
冷ややかなオーラを放ち
気づけば電気柵よろしく
僕の侵入を阻むようになった
僕から目を逸らしはじめた君に
あれこれ手を尽くした挙げ句
不出来な薬をオブラートに包んで渡しても
いっこうに飲んでくれなかったから
最後に打ったカンフル剤
ありったけの僕を注入したのは
医療ミスだったかな
何の効き目もないどころか
あっさり逝ってしまったもの
赫い音をたてて近づいてくるサイレンを
蒼いゼラチン質の静けさに塞がれて
待つ退屈さときたら……
君の胸のうえで泣き笑いするように
艶めかしく花弁(かべん)を広げていく
刺傷のカトレアとは裏腹に
君の身体がどんどん
無愛想になっていくものだからね
ともあれ君へのまっすぐな想いは
一瞬の滞空時間を経て
渾身のベクトルとなり
いまや永久凍土に刺さったまま
君の目の端に入る
僕のいつになく爬虫類がかった視線を
いつもどおり軽く受け流そうとする
君の乾いた角膜を掠める
僕の凍てついた眼(まなこ)を
凝らした瞳の奥でようやく認め
立ちすくんだ君と
躍りかかった僕は
もはや永遠に見つめ合うことはない
重い封印を解かれた僕の爽快な気分が
メンソールの紫煙となって
この部屋に広がっていく
Ⅱ
居場所のない私を
いつからか囲んでいた
彼の血統書付きのアイデンティティー
べたつくバリアの外に
ようやく抜け出せたと思ったら
眉間に皺を寄せて眠る自分を
青い靄に包まれて見下ろしている私
付け睫毛が片方とれかかって……
どうにかしたいのに どうにもできない!
*
二人を包んでいた
時々曇るシャボン玉
脆い光で出来ていたのに
私が出て行くより先に
あなたが割った
いま
紫の薄闇のなか
尖った顎を膝に突きたて
ぼんやりしている
あなたが見える
固いコンプレックスから水中花のごとく
広がったぞっとしない夢と
心を涸らすばかりの乾からびた日常を
忙しなく行き来する
あなたは振り子だった
陽が透けるほど浅はかな闇のなか
ひとり何かに奮闘しては
倦みつかれ打ちしずむ骨立った背中に
いつだって振り落とされてしまう言葉を
掛けつづけるのに厭気がさして
私はただ
薄い光の波打ち際で
いつか褪める燦めきの数々を
虚ろな目で追っていた
夏祭りの後みたいに
ひとつの恍惚が散ったけれど
あなたの仕掛けた罠ではなかったと
思いつづけたい
蘭の花が艶(あで)やかに滲む
浴衣姿のまま
永遠に
Ⅲ
雪の日のホテル
客室清掃員の黒いエプロンは
背中に大きなX(エックス)を描(えが)く
ベッドを整えようと身を伸ばすたび
未知数を求めて激しく躍動する記号
この部屋で何が起きたのか
新人の客室係には知る由もない
謎解きにますます躍起になるX!
カラスが一羽
底光る眼で
窓の外を旋回する
……もっと闇を!
さもなくば光が視えない……
生き生きとした濡れ羽色が
誰の目にも染みる朝だった
(筆者注・丸括弧内はルビ)
同じく倉本侑未子『星綴り』より。この詩は、本稿冒頭で触れた詩集の表題作とは多くの点で対照的なところがある、ゆえに『星綴り』を読む上でも大変重要な位置付けにあるといえる一篇だ。「X ─或る闇の物語─」(以下、「X」と記す)においても、ポエジーは確かに鳥に喩えられてはいる(注1)。しかしより具体的には、「星綴り」においてそれは「翠の鳥」であったのに対して、「X」では「カラス」という漆黒の鳥になっている。こうしたポエジーの(有彩色と無彩色という)鮮明な対立は、「X」にどのように作用しているのか? 「星綴り」においては、詩を書くということは無限の暗黒に言葉を星=光として綴ってゆくことであり、それはまた「癒えがたい無数の傷口を/いつか差す光の受口へと」異化することでもあった。そしてこれらのことは「翠の鳥」というポエジーによって書かれ/成し遂げられていたわけだが、この「翠の鳥」が「カラス」へと変化することに伴い、これらのことはどのように変化するのか(それとも不変なのか)──以下、こうした問題意識を持続させつつ、「X」を読んでゆきたい。
2. 詩の構造と二人の男女
「X」は三つの章に分かれており、しかも各章でその語り手が異なるという構造を有している。Ⅰ章の語り手は、男性と思しき人物(以下、「男」と記す)の独白。Ⅱ章の語り手は、女性と思しき人物(以下、「女」と記す)の、同じく独白。Ⅲ章は打って変わって、「新人の客室係には」という語り方からも明らかなように、三人称による客観的な語りとなっている。かつⅠ章とⅡ章の語り手は、独白の中で「君」「あなた」と互いに呼びかけ合っているようだ(つまり二人称)。「星綴り」が一貫して一つの視点からの詩であったのに対して、「X」は複数の視点が交錯するかなり複雑な語りの構造になっている。そして、このような複雑な構造において語られる「或る闇の物語」とは、どうもホテルの一室で起きた男による女の殺害らしく、これは「星綴り」の詩句を引用すれば、「癒えがたい無数の傷口」のまさにその最たる一例だということになりそうだ。そう、Ⅰ章とⅡ章の語り手である男も女も、ともに病んでいる。
まずは男の人物像から見てゆこう。この男の独白の言葉には、冷たく計算高い印象がある。例えば「君の体内において/僕という濃度を高位安定させようと/試みたのは本能的欲求からか」や、「君が僕への依存症に陥らなかったのは/習慣性をつくるほどの毒性が/僕にはなかったからか」といった詩行──自分の愛情を相手に示すべきなのに、そこにあるのは心理学や医学の用語を思わせる言葉たちだ。「さ迷ってばかりの君を/周りから固めてしまおうと/贈りつづけたプレゼントの燦めきは」──プレゼントという、本来は心のこもったものであるべきものも、この男からしたら、やはり計算の一環でしかない。一方、女から見たこの男の描写にある「彼の血統書付きのアイデンティティー」や、「心を涸らすばかりの乾からびた日常を/忙しなく行き来する/あなたは振り子だった」などからは、男の家柄等の良さや、恋愛よりも仕事(その家柄ともおそらく関係するような高給の仕事?)が中心といった人物像が浮かんでくる。また、以上のことから総じてプライドが高く、反面、人の心の機微を察するのが苦手、という印象も受ける。
では、女の人物像はどうだろうか。女は自分のことを「居場所のない私」、「付け睫毛が片方とれかかって……/どうにかしたいのに どうにもできない!」と独白している(尤もこれらを含むⅡ章の最初の三連は、男に刺殺された直後の場面として読むことも出来るが、そうであるならば、ゆえにいっそう女の人物像の凝縮された表現だとも言えよう)。先に引用した男の独白にも「さ迷ってばかりの君」とあるから、どうにも不安定な人物という印象をまず受ける。そして「ひとり何かに奮闘しては/倦みつかれ打ちしずむ骨立った背中に/いつだって振り落とされてしまう言葉を/掛けつづけるのに厭気がさして」とあるように、彼女は男のことをかなり切実に求めている。そんな自分の状態や状況を自己嫌悪しつつ──。男が相手の心の機微を察するのが苦手な人物であると思われるのに対して、女のほうは逆に過剰なまでに相手の心の状態に敏感な人物という印象を受ける。
このようにこの男女の心はすれ違っている。しかし一方で、交差している点もある。それはお互いに現状のままでは良くないと思っているという点だ。例えば女は「二人を包んでいた/時々曇るシャボン玉/脆い光で出来ていたのに/私が出て行くより先に」と独白しているが、「私が出て行くより」という言葉からもそれが窺える。これに対して、男はより過激な方向へと踏み出す。即ち、「ありったけの僕を注入したのは/医療ミスだったかな」──。素直に読めば、女に何か薬物を用いたのかも知れない。またホテルという場所からも、性行為のことなのかも知れない。だが、その先の詩行に「君の胸のうえで泣き笑いするように/艶めかしく花弁(かべん)を広げていく/刺傷のカトレアとは裏腹に」とあるからには、女を刃物で刺したと解釈せざるを得ないだろう──むろん、これは薬物の使用や性行為を否定するものではなく、それらのイメージと重なり合いながらだが。
このように見てゆくとこの詩「X」は、すれ違う病んだ男女による、多分にゴシップ誌やワイドショー好みの悲劇のように思われてもくるのだが、一方で決してそうした内容に終わるわけではないものを確かに感じさせるなにかもある。この詩を深く読めば読むほど、それは少しずつ了解されてくる。この男のしたことは、確かに許しがたいことだろう。しかし、この男がなぜこんなにも冷たいのか、「血統書付きのアイデンティティー」や仕事優先の性格がこんな悲劇を生じさせるのか。仮にそうであるとしても、ではこの男の中には女への愛情と呼ぶに値するような感情は微塵もなかったと果たして言えるものなのか、換言すれば、この男は女が彼に求めていたようななにかを、彼女に対して全く求めてはいなかったのか、そう言い切れるものなのか? 男はいちおう「君へのまっすぐな想い」と自分の心情を独白しているわけではあるが……様々な考え方があるだろうし、どのような理由であれ犯罪であることに変わりはないが、こうした問いは、深めてゆけば深めてゆくほど、容易には答えが出せない性質を帯びてくる。女のほうにしても同様だ。そもそもなぜこの女は、こんな男と関係を持つことになってしまったのか。「居場所」がない、「さ迷ってばかり」とあるが、何が原因でそうなっているのかは書かれてはいない。また「居場所」がなくて「さ迷ってばかり」の女がこのような男と関係を持ってしまうことはありがちかも知れないが、そうしたことがなぜありがちなのか、それも分かるようで分からない。──要するに、これらはエロスというものの解き明かし難い性質に関わる謎なのだ。
しかも、このエロスはその対立物であるタナトスと、この詩の中で濃密に交わっている。それはあたかも、エロスのかかる本質的な解き明かし難さがタナトスを呼び寄せざるを得なくさせているとすら言えるかのようだ。確かにこの男女は、自分たちのエロスの不透明な在り方から(そのような両者のエロスの関係の仕方から)必然的にタナトスを導いている観がある。
この詩の題名である「X」とは、そのように交錯するこの二人の男女であり、この二人にまつわるエロスとタナトスの交錯を指していると言えるし、それは同時にその根本的な解き明かし難さ=「未知数」であるという意味をも持つと言える。そしてこの詩における「X」にはそれだけでは終わらない、なおも同じくらいに重要で深刻な意味がある。以下、それについて見てゆく。
© Yosuke Kabe 加部 洋祐
3. 事件の時期と実在性
それではⅢ章に入ろう。Ⅲ章はこれまでと打って変わって、三人称で客観的に語られる。登場人物も異なり、事件の加害者と被害者は退き、「客室清掃員」(「新人の客室係」)と、人ではないが先述の「カラス」のみとなる。詩の最終行に「朝」とあるし、殺人事件から部屋の清掃という流れからも、一見、事件の翌朝のようにも思えるのだが、少し注意して読むと翌朝だと断定するのが難しい要素がいくつも出てくる。
例えばⅢ章の冒頭部に「雪の日」とあるが、Ⅱ章の終盤では「夏祭り」「浴衣」といった言葉が出てくる。それ以外にもⅡ章には「水中花」「薄い光の波打ち際で/いつか褪める燦めきの数々を」等、夏のイメージが頻出する。こうしたことはⅡ章とⅢ章との間で、数ヶ月の隔たりがあることを示唆しているのではないかと、読者に想像させる。とはいえ、これだけではただの独白の中にある女の心的イメージとして片付けられてもしまいかねないし、より細かく見れば「夏祭り」は「夏祭りの後みたいに」という用いられ方をしている。「後」ということは、夏はもう過ぎていると解釈することも可能だろう。なにより他方で、男の独白には夏の要素が全くと言っていいほどないばかりか、それどころか反対に「カトレア」(季節を問わず咲くようだが、季語としては冬)、「永久凍土」等の言葉すら見受けられるほどだ。けれども、Ⅲ章が事件の翌朝ではないかも知れないと思わせるいっそう強い根拠がまだある。それは事件の翌朝にしては室内の描写があまりにも平穏に過ぎるという点だ。殺人が起きたからには当然警察が来て、男が逮捕され(男の独白には「赫い音をたてて近づいてくるサイレン」という描写もあった)、現場検証が行われ、しかもⅢ章の描写からすれば、検証はすでに終了していることになる。殺人事件の現場検証がそう簡単に終了するものだろうか……? その上、上述したように男は女を刺殺している。当然、血が大量に流れて血痕が残るはずだろう。けれども血痕に関する記述は全くない。新人の客室係が来るまでに専門の清掃業者が掃除し終えたのだろうか……? とすると、警察の現場検証はさらに早く終わっていなければならないことになる──いくらなんでも、これはあまりにも不自然だ。そもそも「この部屋で何が起きたのか/新人の客室係は知る由もない」とあるが、いくら新人だからといって、殺人現場の部屋にその翌朝に入って「何が起きたのか~知る由もない」などということも、そうそうあり得ないのではないか。当事者である男女の心理の深みは「知る由もない」としても……。
……では、つまりどうなのだろう、やはりⅢ章はⅠ章とⅡ章の数ヶ月後ということなのだろうか?──しかし、どうも引っかかる。そもそも、なぜ数ヶ月後に場面を設定する必要があるのか……? 数ヶ月後というこの「遠さ」の意味は?──それに詩の言葉を読むと、私は「遠さ」よりもむしろ「近さ」を感じるのだが、それは気のせいなのか?……例えば再び引くが「この部屋で何が起きたのか/新人の客室係には知る由もない」という詩行──Ⅰ章とⅡ章のインパクトもあってか、この「何が起きたのか」の過去形に数ヶ月もの時間経過を、私は直感的に感じ取ることが難しい……この過去形はやはり数時間前の出来事に対する過去形なのではないのか? こんな疑問を生じさせたくないならば、詩人は上に引用した詩行の「この部屋で」の前に「かつて」というたった一語を付け加えればよいだけの話だ。それにもかかわらず、そうしなかったのはなぜか。「かつて」という言葉があまり美しくないと判断したからか? それとも説明的になるから?──それらを含むかも知れないが、根本的には違うと私は考える。では、どういうことなのか?──それは事件の時間設定をなるべく曖昧にしておきたいという意図があるからだと思う。
時間設定を曖昧に?──けれども、そんなことはあり得るだろうか? Ⅲ章が事件の翌日だとするならば、血痕がないこと、あるいは警察も清掃業者もその職務をあまりにも迅速に済ませすぎてしまった不自然さをどう説明するというのか?……一つだけ、それを可能にする仮説がある。それはⅠ章とⅡ章で語られた殺人事件が、(この詩の中の事実として)実際には起きていなかったのではないか、という仮説だ。
そしてこの観点に立つと、「X」という詩がどれだけ周到に書かれているのかが分かってくる。重要なのはⅠ章とⅡ章における語りの構造だ。この二つの章はともに二人称ではあるが、男女それぞれの独白によって語られる。一般に独白の特徴は、それが実際に声に出さずとも、頭の中で(心の中で、と言い換えても同じだ)終始完結し得る、という点だ。その上、この二つの章の独白は二人称ではあっても、呼びかけている相手の側の声(台詞)は、ともにいっさい出てこない。私たちが頭の中で(心の中で)誰かをいくら愛したり殺したりしても、それがそのまま現実にならないのは当たり前の話で、それはこの詩の中でも変わらない。しかも上に引用している「X」のⅠ章、Ⅱ章を振り返ってみてほしい。そこで独白されている言葉は、日常の会話とはかなりかけ離れている喩をふんだんに用いた詩の言葉だ。それがますますこの語りによって語られる物語が、男の頭(心)の中、女の頭(心)の中でのことでしかないのではないかという疑問を強化する。
もっとも、こうした疑問はあくまでも疑問という水準にとどまるものではある。それにこの疑問は、いわばその内側から脅かされている疑問でもある。どういうことなのかというと、それは男が女を殺し、女が男に殺されるという主要な内容が共通しているからだ。この共通項は、二人の独白が二人の頭(心)の中のことに過ぎないのではないかという疑問を減衰させる方向に働く──とはいえ、減衰は消滅ではない。二人の男女の頭(心)の中でなされる独白の中で、(この場合は異様な妄想としての)殺人の被害者と加害者の関係が一致するということは絶対にあり得ないわけではないだろうし、むしろ充分にあり得そうなことは、前にも述べたように、この男女の元より病んだ心理とエロスが必然的にそれを導くようにも思われてならないのだから。
(こんな仮説は無理筋だと思う人もいるかも知れない。そしてもし、詩人もまたこんな仮説を立てられることを警戒しているのならば、独白などという形式を用いず、Ⅲ章と同じように一貫してこの詩を三人称で客観的に書くだけで良かったのだ。──それにもかかわらず、Ⅰ章とⅡ章があのような独白を採用しているというのは、単に臨場感のようなものを出すためだけなのだろうか?──私にはそうは思えないし、血痕がないこと等も含めて、独白の採用はこの仮説を立てさせるためだとさえ、むしろ思われてくる。換言すれば、この仮説の成立を完全に妨害しかねないような要素は「X」から慎重に取り除かれているということになる。)
以上をまとめると、要するに、次のようなことが言えるだろう、Ⅲ章をⅠ章とⅡ章の翌日とする解釈は疑わしい、また同じく、だからといって数ヶ月後とする解釈にも疑問が残る──そしてより重要なのは、この二つの疑問がどちらももう一方の疑問を決定的に否定するには至らないという点だ。事件の時間設定と(詩の中での)実在性は、このようにして宙吊りにされる。
病んだ男と女の心理。そのエロスとそれが導くタナトス。そしてこの殺人はそもそも起きたのか、それとも起きなかったのか──対立する二つの斜線はどこまでも解決されぬまま、重層的にこの詩において交差する。少し前にも軽く述べたことを今度こそしっかりと述べるならば、「X」とはこれらの持つフォルムそのものであると同時に、これらの推理にのめり込む私のような読者の姿でもあり(「謎解きにますます躍起になるX!」)、そしてこれらの未解決性=名指し得ぬなにか(「この部屋で何が起きたのか~知る由もない」とは本質的にはおそらくこのことだろう)を仮定的に指し示すための「X」なのだということになるだろう。逆に言えば、「X」をこのようなものとして表現するために、詩人は──これまで詳細に見てきたような──曖昧ともいえる複雑な書き方を敢えてしているのだと思われる。
4. 「カラス」のポエジー
このような書き方は、「或る闇の物語」とされるその「闇」の中に、黒いインクで言葉を綴ってゆくようなものだろう。Ⅲ章の冒頭の連にも「客室清掃員の黒いエプロンは/背中に大きなX(エックス)を描(えが)く」とはっきりあるように。『星綴り』の表題作において、ポエジーの象徴である「翠の鳥」は、「星明かりが蜜を注(そそ)」いだ「藍色のインク」で「薬草色」の羽を羽ばたかせながら、星=光の言葉を夜空の闇に綴った。それに対して「X」の「カラス」は姿も、用いるインクも、全てが黒一色だ。ではなぜ、詩人はこの詩を「星綴り」のように星=光の言葉で綴らなかったのか、あるいは綴ることが出来なかったのか?──それは前述したように、Ⅰ章とⅡ章にて独白される殺人事件の(詩の中での)実在性を未確定の状態におくためだと私は思う。夜空の闇に綴られた星の言葉は可視の光となって読者に届く。その実在性をいちいち疑うとしたら、それは詩を拒むことと同義であり無意味だ。けれども、闇に黒いインクでどれだけ言葉を綴っても、言葉は不可視の世界へと退き続けることになり、星の光のような確かな実在性を持つことはない。こうした未解決性──それはまたエロスとタナトスのことでもあり、またそれらと切り離せないⅠ章とⅡ章の語り手である二人の男女の心理/心情そのものだった。「星綴り」の最初の連に「地上のほとんどは病室だ」という一行があるが、「X」はまさにその具体例だと思われてならない。つまり「星綴り」が詩集の表題作として、病からの救済を願う詩であるとするならば、「X」は病の実相を抉り出す詩だということになる。そしてその実相とは、見てきたようにけっして単なる個々人の心理などに還元できるものではなく、恐ろしく入り組んでおり、何が実在であるのかということすらも定かならぬ闇の中を手探りでさ迷うばかりの領域へと読者を連れ去るという性質のものだった。
大切なのはこうした領域に、そう簡単には光は射さないということだ。「……もっと闇を!/ さもなくば光が視えない……」──「X」終盤の、極めて重要な二行だ。昼間の明るさの中では星の光は可視のものとはならない。それが可視のものとなるには夜の闇が必要だ。しかし、どういうことなのだろう? もう闇は充分見てきたのではなかったか──いや、少なくとも詩人はそうは考えてはいないようだ。例えばⅡ章には「陽が透けるほど浅はかな闇のなか」という一行がある。女が男との関係を喩えた一行だ。Ⅱ章の語り手だったこの人物においては、「X」の闇はまだ昼の明るさをどこか引きずっていると感じられているようだ。闇が完全な闇でなければ、星の可視性もまた完全なものとはならない。「癒えがたい無数の傷口を/いつか差す光の受口へと」異化し、救済するためには可視性への方向へと向かう「翠の鳥」の光のポエジーだけでは足りないのだ。それとは正反対の、どこまでもどこまでも不可視の領域へと退いてゆく「カラス」の闇のポエジーがどうしても必要となる。その果てに──まさしく「カラスが一羽/底光る眼で」という二行で「底」と象徴的に書かれているように──「光の受口」は可能性として──それも「いつか差す」という祈りにも似た条件付きのものとして──初めて立ち現れてくる(だから闇が「陽が透けるほど浅はかな闇」にとどまる限り、「X」の男女も同じ程度に救済からは依然として遠いのだ)。このように考えると倉本侑未子の第二詩集『星綴り』にとって、「X」はその背景を支えるものとして、いや、それどころか背景そのものとして、どうしても書かれねばならなかった詩なのだという思いに私は至りつく。しかしそれにしても──と私は思わずにはいられない──私は本稿の冒頭で、詩人が詩を書くこということはどういうことなのだろうかと思いを馳せ、倉本が自らのポエジーを「翠の鳥」に託して、夜空という闇、その無限の虚無に言葉を星の光として綴ってゆくのを目の当たりにし、その遥かさに気が遠くなりかけたのだが、「X」における「カラス」は今やそれ以上の得体の知れないなにかとして、私に迫ってくると言わざるを得ない。
「いまや光そのものになった/小さなノートから/翠の描線はふいと浮きあがり/オリオンの窓をくぐり抜ける//仄かな水尾は天穹に溶けいり/夜明けの鳥かごには/止まり木だけが/微かに揺れる」──「星綴り」の最後の二連だ。「X」の最終盤と比較すると、なんと好対照なことかと改めて思う。「夜明け」(「星綴り」)と「朝」(「X」)、それぞれの光景。「X」の「カラス」もまたその言葉(闇のポエジー)を綴り終えて「窓の外」へと出る。しかし、そこからが違う。「翠の鳥」が姿を消すに対して、「カラス」は「窓の外を旋回する」。光のポエジーの喩であった「翠の鳥」は不可視の領域へと入り、闇のポエジーの喩であった「カラス」は可視の領域へと現れる……これはなぜなのだろう……? しかし、それにしても私は、「X」をあまりにも理詰めに読み過ぎてしまったのではないか。だから今は、この「或る闇の物語」を綴った──闇の中で闇を綴ったこの「カラス」の姿を、素直に目にとどめるのみにしたいと思う。
*
注1 倉本侑未子にとって「鳥」は、詩やポエジーと深い関係にあるモチーフであり、存在であるようだ。このHP「一篇の詩への旅」でも倉本は河津聖恵の詩集『綵歌』から「霏霏-芦雁図」を選んで論じている。倉本という詩人について、より深く思いを巡らせたい読者はこうした問題意識のもとに、倉本によるかかる記事を改めて読んでみるのも面白いかも知れない。
© Yosuke Kabe 加部 洋祐
銀行の石段に影を刻みつけ〈絶望〉のみ黒き掌を垂れて来し
「藤田武作品集」(「現代短歌雁」58号/雁書館/2004年8月)より。私の短歌の師である藤田武(1929-2014)は歌集を持たない歌人だった。なので、その自選短歌作品1050首を収録した「現代短歌雁」のこの号の総特集「藤田武の世界」は現在、資料的にも大変重要かつ貴重なものになっている。
引用した歌は「藤田武作品集」の巻頭を飾る連作「黒き掌」(1953年)の中の一首。より詳しく書くと、「黒き掌」はさらにいくつかの小題に分かれており、引用歌はその最初の小題である「原爆の街に」に収められている(注1)。
小題からも明らかなように、この歌は原爆の、その爆心地の状況を詠んだ歌だ(総特集に寄せられた村木道彦の論考「状況と存在の狭間で」には「復員途上で見聞した広島の惨状」と書かれている)。原爆の、その尋常ならざる超高熱によって、人体は一瞬で消滅し、影だけが石段等に残される……それはまさに、ここで藤田が詠んでいるように「刻みつけ」られるという驚異を絶した事態だが、この歌の真価は下句にある。爆心地の光景を目の当たりにして、この歌人は絶望したのではない。そんなふうには詠まれても書かれてもいない。当たり前だが絶望という言葉は、感情は、原爆以前からあったし、また戦争や大災害に、今のところ幸運にも巻き込まれたことのない私のような人間でも、しょっちゅう絶望的な気分になることくらいは出来る──それが絶望の名に値するか否かを別にすれば。しかしともかく、そのようであるがゆえに絶望という言葉は、爆心地の光景を前にしたこの歌人の内部において砕け散らざるを得ない。多くの人々がたった一瞬で、遺体すら残らぬほどの徹底さで虐殺される──これは原爆以前にはあり得なかったことだ。絶望という言葉は自らの限界に絶望せざるを得ない。では、どうなったのか。絶望自体が死に(虐殺されて)、この歌人の面前に〈絶望〉として現れたのだ。これを例えば「亡霊的に」などと形容することを、私は拒否したいと思う。「銀行の石段に影を刻みつけ」られた人(人たち)のその「影」は、亡霊的などという時としてはありがたがられることもあるような、そのような観念へと回収されてしまうものとは到底思われない。絶望同様、亡霊もまた自らの存在論的限界、倫理的限界に直面し、消滅した(虐殺された)のだ……。歌人の前に現れた〈絶望〉は絶望の亡霊としてではなく、それ以前の、そしておそらくは今日に至るまでの、あらゆる価値観を破綻させつつ、銀行の石段に刻みつけられた「影」と一つになって、「黒き掌を垂れて」ゆっくりと近づいて来たのだ……と私は考えたい。
歌人が絶望したのではなく、〈絶望〉がこのようななにかとして歌人に近づいて来るということ──この二つを明確に区別すること、もっと言えばこの二つの間に横たわる断絶をしかと認識すること──それはこの歌を鑑賞することの肝になると私は思うし、藤田武という歌人の歌を理解する上での分かれ道にもなると思う(注2)。そしてこの断絶は、原爆によって殺戮された人たちと、そうはならなかった藤田との間にも、おそらくは引かれていたことだろう。
しかしまた同時に、運命の歯車が少しでも掛け違っていたら自分自身も「銀行の石段に影を刻みつけ」ることになりかねなかったという思いが、藤田にはあったはずだ。戦時中、当然のように、死は常に藤田の近くにあった。1940年、藤田は海軍兵学校予科に入学しており、「現代短歌雁」の総特集にある自筆年譜には「兵学校時代における死との対面が、自己との対話を求めさせ、作歌への契機となった。」と書かれている。私は藤田本人から、この辺りの経緯を少し詳しく聞いたことがある。兵学校に入ったのは、兵隊として偉くなれば死なないで済むと考えたからで、なのに入ったら教官から、お前らは死ぬためにここに入学したのだと言われた、と。生と死との間には確かに断絶がある。生を尊く思えば思うほどに死への恐れは強くなり、断絶はいよいよその深淵を広げる。けれども圧倒的な外からの力によって、この断絶をいとも簡単に飛び越えさせられてしまう状況において、断絶の性質はおそらく変化する。「黒き掌」の一首に立ち戻れば、こちら側へとやって来る〈絶望〉と歌人との間には生と死の断絶の他に、死への異様な近しさが確かにあると思われるのだ。
藤田武は、おそらくこの生と死の断絶と近しさをともに自らの深奥へと受け入れた(注3)。だからこそ連作「黒き掌」の中盤には「朝靄のなか塵芥処理場に黒き掌を冷え冷え垂らし集ひくる労働者」(「朝霧」に「もや」のルビ)や「機械的に汚物を処理する黒き掌よしんかんと輝る風光のなかに」(「輝」に「て」のルビ)といった歌が収められている。一読して明らかなように、本稿冒頭の引用歌では原爆による死者たちのものであった「黒き掌」が、ここでは生きた労働者たちに──それも「塵芥」や「汚物」を処理するという辛い労働に従事しなければならない階級的立場にある──引き継がれている。このような引き継ぎが可能だったのは、生と死の断絶と近しさをともに深奥へと受け入れた自らを介しつつ、紛れもなくこの労働者たちも戦時中、そのような藤田と同様に死と隣り合わせの立場にあったはずだからだ(注4)。
ところで、このように本稿冒頭の一首に端を発する生と死の断絶と近しさについて書くとき──特にその断絶というものを思うとき、私はかかる冒頭の一首とそれを読むこの私との間に横たわるさらにもう一つの断絶のことを思わずにはおれない。私は戦争に巻き込まれたことはない。その私がこの歌と、果たしてどのように向き合うことが出来るのか。少なくとも、感情移入は許されないだろう。私が絶望的な思いでいるとき、まさにそのことがこの歌との断絶をますます厳然たるものにせざるを得ないことは、すでに述べたことからも明らかだろう。しかし、だからといって、向き合うことを拒絶することもまた出来ないのだ。戦争の記憶を風化させることに繋がる言説や行為というものは、自分たちの上にまたしても爆弾が落とされることになるかもしれないということや、あるいは自分たちがまたしても他国の人々を国からの命令によって殺しに行かねばならなくなるかもしれないということ等を再び招きかねないその危険性を増幅させるに等しいからだ。この歌が「来し」で終わっているのはまことに重要で、それは亡霊にすらなることが出来なかった〈絶望〉が、その存在を、あるいは非存在を、それでもなお忘却することは許さないという意志を表明していることに他ならない。上述のように、藤田武はこの〈絶望〉を──戦争による生と死の断絶と近しさを──自らの深奥へと受け入れ、引き継いだ。そして私が見る限り、生涯それを貫いた。即ち、反戦・反権力・そして反天皇制の立場を。反権力には反歌壇の意味合いもあったし、また前衛短歌運動時代から交流のあった岡井隆が歌会始選者になった際には批判を辞さなかった。──このように藤田の政治的な立ち位置はかなり明確なのだが、その歌はけしてスローガン的な方向に行くことはなかった。本稿冒頭の一首が放つ黒いアウラはその濃淡はあっても、ほぼ全ての藤田作品に通底するもので、それは藤田が〈絶望〉の、「黒き掌」の、その意志を、生涯に亘り引き受け続けたという私の見方の根拠となっている。
私が「黒き掌」の一首を読むとき、この一首および連作と私との間に横たわる断絶──私もまず、この断絶を受け入れねばならないと考えている。この一首を論じる際に、断絶とともに言及した近しさについては取り敢えず置いておく他ない。しかしまず、受け入れるのでなければ、私の書く言葉の中に断絶を深く刻印させるのでなければ、私が仮に反戦やどんなに平和への願いを表現するとしても、全て空転するだろうことは火を見るよりも明らかに思える。──私はこれまで、反戦や平和への願いというようなものを、詠んだり書いたりしたことは殆どないということを付け加えねばならないにしても。
*
注1「黒き掌」の全体はかなりの首数になってしまうので、ここではせめて「原爆の街に」を構成する歌だけでも引かせてもらいたい。以下の通りである。
顔貌なき原爆の子らかくれ棲む街に蜻蛉をかなしく見たり
爆心の瓦礫にとまる赤蜻蛉雲翳とほる時氷ると思ふ
痙攣れし傷痕に化粧しゐる少女秘むる抗議は一生つづかむ
死と埋葬瞬時に終へて黒き影生き居しものの小さき証
銀行の石段に影を刻みつけ〈絶望〉のみ黒き掌を垂れて来し
背はあかく絣の斑点に烙き爛れ神を凝視めしか首ながく死ぬ
なお、藤田には「ルビは美」という自説があり、ルビは作品の一部だった。上の引用歌に付けられたルビは次の通り。一首目「顔貌」(かたち)、「蜻蛉」(あきつ)、二首目「赤蜻蛉」(あかあきつ)、「雲翳」(かげ)、三首目「痙攣」(ひきつ)、「傷痕」(きず)、「一生」(ひとよ)、四首目「証」(あかし)、六首目「凝視」(みつ)。
「赤」などという字よりも、「絣」等の字にこそルビがほしいと思う方もいるかも知れないが、上記の美意識に基づくことなので、ご了承願いたい。
注2 藤田武という歌人の特徴として、短歌表現に対する果敢さを無視するわけにはいかない。前衛短歌をその理論面において支え続けた批評家である菱川善夫も、「現代短歌雁」の総特集に寄せた論考「予感的超越者の誕生と苦闘」の中で、「黒き掌」の歌およびその連作について、「「〈絶望〉のみ」が、「黒き掌」を垂れてやって来る抽象力」を評価し、「いずれの作品も秀抜な技法に支えられている。」と述べている。この「秀抜な技法」こそ(本稿で私はそれを敢えて強調せずに書いているけれども)藤田をただの歌人ではなく、「前衛歌人」の一人たらしめた特徴だったと言えよう。その後、藤田は一前衛歌人としても、そしてその活動の拠点であった千葉を中心に組織的にも、短歌の表現を貪欲に探求してゆくことになる。拙歌に「、 春 春 多 ま ? … 多 ね 、 春」という一見歌とも言えない歌があるが(拙歌集『亞天使』に収録されている)、そしてこの歌は殆どの歌人が受け止めることの出来なかった歌だが、この歌もまた藤田の主宰する研究的な歌会の中で作り出された一首で、要するに藤田の前衛短歌は少なくともこの辺りまではその射程圏内なのだ。つまるところ、藤田は短歌を奈落の相(これは藤田の歌論の中核をなす「夢闇」という言葉に、おそらくは通じている)において読むことが出来たからだ。下らない自己弁護のためにこの注を書いているわけではない。こうしたことを書くわけは、この論点はこのホームページの私のプロフィールにも書いたように、遠く隔たってしまった作品と作品との間に、ゆくゆくは対話の可能性を模索してゆきたいという目標に通じていると思うがゆえなのだ。
注3 前掲の村木道彦の論考には、鮎川信夫の「死んだ男」が比較対象として明確に言及されている。そこに出てくる有名な「遺言執行人」という言葉に村木は藤田の姿を重ねているが、村木とは世代的にかなりの開きがある私でも、やはり同様の印象を持つというのは偽りならぬ思いだ。なお村木の論考はその後、「遺言執行人」とは異なる藤田の他の一面についても記しているが、ここではこれ以上は言及しない。
注4 なお「黒き掌」は原爆による死者たちと、戦後の労働者たちにのみ重ね合わされているわけではない。「藤田武作品集」で「黒き掌」の次に収められている短歌連作「赤き坩堝」の中の一首、「屍体運搬の起重機の下掩ひかぶさる黒き巨大な掌がわれに」(「掌」に「てのひら」のルビ)について、前掲の論考で菱川善夫は「真実を掩いかくす権力の掌」を暗示しているとする。「黒き掌」という言葉が藤田の中でどれほど多義的そして重層的に用いられているかがわかる。
© Yosuke Kabe 加部 洋祐