河津聖恵「紅の匂い―南天雄鶏図」(『綵歌』所収)をめぐって

―エロスとタナトスの鬩ぎ合う現世―

2024.5.8(倉本侑未子)

○はじめに
 
 前回の記事(河津聖恵詩集『綵歌』所収 「霏霏―芦雁図」に寄せて ―霏霏という無音から聴こえてくるもの―)で扱った「霏霏―芦雁図」のラストシーンは、死にかぎりなく近い白い眠りに落ちる若冲の姿が実に印象的であり、「ついに胡粉に触れた」「筆先」は、雪景の中できらりと輝く絵師の清廉な決意と悲願を象徴するかのようであった。今回の「紅の匂い―南天雄鶏図」*1は、序章の2篇のうち後の作品であるが、先行する「霏霏―芦雁図」とはムードが一転し、冒頭から生命力みなぎる世界が広がり、前作と好対照をなしている。以下、適宜比較しながら見ていきたい。

○作品(全文引用)

 紅の匂い―南天雄鶏図 


絵師とは画業の果てに死ではなく
闇に燃えおちつづける
熱い火種となることを選んだ者
見よ 彼は今もここにあかあかと生きている
漆黒の脚で大地をふみしめ
虚空をふりあおぎ
軍鶏はちからづよく言挙げをする
彼方でまなざしに照応する赤色巨星は描かれていない
外の外の宇宙に
それはいまもふくらみ赫き いのちを渇仰する
 
わずかにひらく嘴が不思議な笑まいを含み
三百年の空気を共振させる
ふいに漆黒の尾が打ち振られ
中空から南天の紅がずっしりと呼びよせられた
鮮血――
果てなくめぐるものに挑みつづけた軍鶏の
ついに あるいは
ふたたびの永遠の正午
無量の実と共に鬨の声をたかだかと上げるそれは
一瞬の戦争
あるいは天地開闢
気配に気づいた者だけが絵を「見る」のではなく
色を「聴く」
黒の身じろぎと紅の匂いに
(色は匂い 絵師はそれを神気と呼んだ)
抱かれながら
 
偽りの世にみずから盲い
軍鶏の生命にまなこを見ひらき
世の闇に生きる痛みをおしのべた
絵師のまなざしが
今いきものからあふれる光の辰砂に埋められてゆく

伊藤 若冲《《南天雄鶏図》》


Ⅰ 作品の構成および作中の時間の流れ
 
「霏霏―芦雁図」が時系列で、起・承転・結の3連で書かれていたのに対し、本作は同じく3連から成るものの、作中の時間の流れはほぼ切れ目なく連続し、第2連4行目「中空から南天の紅がずっしりと呼びよせられた」が唯一過去形である以外は、現在形もしくは現在進行形の時制が使われ(その他は体言止め)、アレグロで一気に最終行まで進んでいく感がある。
 また前作と同様三人称で書かれているが、第1連4行目行頭「見よ」という呼びかけや、第2連7行目「ついに あるいは」等に、書き手の昂揚感がほとばしる。更に第1連4行目「彼は今もここにあかあかと生きている」や10行目「それはいまもふくらみ」等は臨場感を、第2連の「ふいに」「ずっしりと」「たかだかと」等の副詞は迫真性を高め、モチーフである若冲絵《南天雄鶏図》さながらにダイナミックでドラマティックなスペクタクルが総合的に創出されている。
 河津さんはかつて詩論集『ルリアンス――他者と共にある詩』*2の「Ⅲ 詩のみなもとへ 詩と時間 北村太郎を中心に」のなかで、北村太郎の作品に見られる時間意識をフランスの哲学者ベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941)が提唱した”純粋持続”(durée pure)との強い関連性において詳察し、両者が時間を“意識の流れ”として捉えていることを指摘している。そして北村作品を評して「書いてゆくという時間あるいは生きているという時間のリアリティが、読むこちらにとっては、まるでエロスのように迫ってくる。」*3 「北村は詩のなかに時間=持続のリアリティを呼び入れることに成功している。」*4と述べているが、これは河津さん自身が著した本作にもそのまま当てはまる言説と言えよう。

Ⅱ ストーリー解釈
 
 第1連冒頭の3行は若冲の絵師としての矜持を示す。4行目が繫ぎとなって、5行目から登場する勇猛果敢な軍鶏は絵師の精悍さを投影したモデルととれるだろう。「漆黒の脚で大地をふみしめ」る軍鶏と、「彼方でまなざしに照応する」「描かれていない」「赤色巨星」(著者解説によると、赤い太陽をイメージしたもの*5)との間に張り詰めるテンション(緊張感)! 血気盛んに「言挙げをする」軍鶏には、エロス(生への衝動)がみなぎる。
 続く第2連の1行目「わずかにひらく嘴が不思議な笑まいを含み」には、「霏霏―芦雁図」の第3連1行目「笑うように眠りかけて」との繫がりが窺え、軍鶏はやはり若冲の化身、魂の具現であると再認できる。そして「三百年の空気を共振させる」とは、若冲の生誕から300年経ってなお、《南天雄鶏図》が人々の心を震わせ続けていることを示しているのであろう。4行目「中空から南天の紅がずっしりと呼び寄せられた」以下は、難(南)を転(天)じて福となす縁起物で魔除けの力があるとされる南天が、軍鶏の士気を高め、「鬨の声をたかだかと上げ」させ、「鮮血」のクライマックスに達する様子が描かれている。11行目の「天地開闢」は、第1連で高まったテンションの中、ついに赤色巨星(天)と軍鶏(地)とが切り結んだ「一瞬の戦争」を指すと思われる。
 では軍鶏が「挑みつづけた」「果てなくめぐるもの」とは何か。前述した「赤色巨星」(=太陽)のもと、地球が自転し、公転するのは不変の真理であり、一日は朝・昼・晩から、一年は春・夏・秋・冬から成る。「果てなくめぐるもの」とはこうした時の循環、あるいは円環する時を意味するのではないだろうか。先述の『ルリアンス―他者と共にある詩』で河津さんは北村太郎の詩作の時間について「それは、持続=まるい時のへりで、その外部の闇から死の時間の『質』のニュアンスの照り返しを受けながら」*6「微妙な陰翳をおびてゆく、そのような詩の言葉の過程」*7と論じている。突き上げるように刹那的なエロスを体現する軍鶏にとって、「死の時間」の影響を受けながら同一の軌道を延延と描き続ける円環的時間とは、打破すべき悪しき因襲なのかもしれない。「ふたたびの永遠の正午」は、日ごと永遠に繰り返される太陽の南中時刻であり、円環する時と真っ向から対決するに相応しい瞬間であろう。なおこの「ふたたびの永遠の正午」という詩句は、ベルクソンが属する「生の哲学」の系譜において先駆者であるドイツの哲学者ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)の『ツァラトゥストラはこう言った』の終章に見られる「大いなる正午」(「わたしの昼がはじまろうとする。さあ、来い、来い、大いなる正午よ!」*8)を想起させることも付言しておきたい。
 飛び掛かる軍鶏の「黒の身じろぎ」と、南天の実の匂い立つような色合いである「紅の匂い」を目の当たりにした若冲は、第3連で「偽りの」俗世から目を背けるように「みずから盲い」、生き物の持つ生命力の輝き「光の辰砂」に魅せられていく。
 
Ⅲ 色彩に込められた意味
 
 本詩には黒(漆黒の脚と尾・黒の身じろぎ)と赤(火種・あかあかと・赤色巨星・南天の紅・鮮血・紅の匂い)の色彩が連打するごとく鏤められ、炎と闇が入り乱れる修羅場もしくは煉獄を彷彿とさせる。前回の記事で、「霏霏―芦雁図」において風切羽の漆黒は「生」を表すと解釈したが、本作においても黒は同様に「生」――それもすこぶる勢いのある生命力の表現であり、これとコントラストをなす赤もまた激しい熱気を帯びたものである。特に南天の紅は、闘牛の赤いマントさながらに軍鶏の闘志を燃え立たせる興奮剤のような役割を果たしていると言えよう。
 若冲絵《南天雄鶏図》についての河津さんの推測「若冲は、父や弟を奪いながら自分に近づきつつある死を払いのけようという思いで、裏彩色まで施して南天を非現実的なほど鮮やかに発色させたのかも知れません。」*9は深く首肯できるものであり、こうした感得力や洞察力が詩の構想にあたって大きな礎となっていると思われる。
 なお「紅の匂い」とは、嗅覚で感じるものではない。「古えでは色の美しさを、人が主体となって『感じる』ものではなく、物という主体から『発散される』ものとして感じ取っていたというのです。それはまさに、若冲の言う『神気』を感受する、ということではないでしょうか」*10と解説にあるとおり、絵のなかから溢れ出て、照り映えるような南天の鮮やかな紅色を指す。それゆえ「気配に気づいた者だけが絵を『見る』のではなく/色を『聴く』」と、受動的な知覚表現(「聴く」)が用いられているのであろう。

Ⅳ 軍鶏に託した想い
 
 第1連の「大地をふみしめ」、「虚空をふりあおぎ」、「彼方でまなざしに照応する赤色巨星」等に見られる軍鶏の動きや目線は、上方を熱く激しく志向するものであり、Iで触れたベルクソン哲学において同じく基本概念である“生の飛躍”(élan vital)を連想させる。“生の飛躍”の説明として、ベルクソンに造詣の深い西洋哲学者 高山 峻の言葉を借用したい。「ベルクソンによると、物質は生命の流れが固化したものであり、一切のものは生命衝動に促され内から飛躍的に生成し無限に創造的進化を続けて行く。いわゆるエラン・ヴィタール(生の飛躍)である。」*11
 前回の記事で考察したように、「霏霏―芦雁図」では「墜落」する雁をはじめとして落下のイメージが支配的であったのに対し、本作では元来飛ぶことの叶わない軍鶏が飛翔せんばかりに躍動を重ね、上昇のイメージが際立つ。最終連の「軍鶏の生命にまなこを見ひらき/世の闇に生きる痛みをおしのべた/絵師のまなざしが/今いきものからあふれる光の辰砂に埋められていく」とは、俗世の冥妄を打ち破る“生の飛躍”を軍鶏に託すべく、《南天雄鶏図》に専心する若冲の姿を表したものではないだろうか。実際、若冲絵の軍鶏の嘴の開きには、衆生界を一喝するかのような、絵師の気魄を見る思いがする。
 
Ⅴ 生写(しょううつし)の瞬間
 
 解説によれば、若冲の生きた「当時『写生』を『生写(しょううつし)』と言」*12った。そして若冲の生写に対する姿勢については、当人の言葉を引きながらこう詳述されている。「『世間の評判を得ようといった軽薄な志でしたことではありません。すべて相国寺に喜捨し、寺の荘厳具の助けとなって永久に伝わればと存じます。』この言葉からも若冲の深い信仰心が窺えるのではないでしょうか。そのような信仰心を根底として動植物を見つめて生写(しょううつし)し、それぞれの生き物が放つ「神気」を絵筆に捉え、その生命力あふれる姿をみ仏に捧げようとしたのです。」*13
 では己を虚しくし、「生き物が放つ『神気』を絵筆に捉え」る瞬間、絵師の内部ではどのようなことが生じているのだろうか。この点でもⅣで引用した高山の、造形芸術に関する著述は示唆に富む。少々長いが、同書の「静中に“動き”を―造形精神の高揚―」という章から引用する。
「必要なことは、一瞬と一瞬が融け合った質的な真の時の流れを本質とする精神の“動き”を造形芸術の世界に注ぎ入れることだ。動勢が造形芸術の最も肝要な要素といわれるゆえんはここにある。絵画なり彫刻なり一個の芸術作品が、渾然たる小宇宙として脈々たる生命をたたえ得るのは、作家のきわまりない精神の息吹きが吹きこまれて、いわば気韻生動するがためにほかならない。限局空間としての小宇宙に対して、精神の眼をもってこれを観照するとき、この一瞬は直ちに永遠の時の神秘へとつながりをもつ。瞬間が永遠であり、永遠は一瞬にかかる。」*14    
 以上を本作に演繹すると、軍鶏にみなぎるエロスを感受するとともに、そこから煌らかに発し、滔々と止むことなく流れゆくエラン・ヴィタール(生の飛躍)を筆先からほとばしらせるように「気韻生動」させることが、「『神気』を絵筆に捉え」ることであり、これこそ若冲における生写の瞬間と言えるのではないか。更には《南天雄鶏図》から発散される軍鶏の「神気」を共感覚(「見る」→「聴く」)で感受し、言葉で「生写」した本詩からも、その圧倒的な躍動感は減衰することなく、むしろ高い解像度で伝わってくる。
 前回の記事の「Ⅴ 死と眠りの関係」で「このエンディングは続く連作詩で絵師がどのような眼差しで森羅万象を見つめていくかの伏線と言えよう。」と書いたが、本作においては「生き物が放つ『神気』」、とりわけ軍鶏からほとばしるエロスに魅せられる若冲の眼差しが描かれていることを指摘しておきたい。(最終2行「絵師のまなざしが/今いきものからあふれる光の辰砂に埋められてゆく」)
 
Ⅵ エロスとタナトスの鬩ぎ合う現世
 
 若冲絵《芦雁図》は1766年に、《南天雄鶏図》は1765年に制作されたという*15が、極めて短い期間に描かれたにもかかわらず両作が大きな振れ幅を示していることは興味深い。双方をモチーフとした河津さんの詩作品もまた対照的であり、以下の比較表にまとめてみた。

      ※クリックすると拡大します

 「霏霏―芦雁図」においてタナトスをヒュプノスに転じるというかたちで、辛くも死を遠ざけた絵師は、「紅の匂い―南天雄鶏図」では生を肯定するかのように軍鶏のエロスを言祝ぐ。
もとより生きとし生けるものの真の姿とは、無自覚のうちにもタナトスとエロスという拮抗するベクトルにさらされ、時に引き裂かれんばかりの矛盾をはらんでいると言えはしないか。若冲とて心中はしかりであっただろう。それゆえ落下と飛翔という正反対のベクトルを可能性として持つ鳥という存在が、絵師の意識にとりわけ強くのぼり、繰り返しモチーフとなったのは至極当然のことであろう。
 既述の高山は、前述の同書同章で次のように述べている。「造形意欲のたくましさはあらゆる目前の物象をあますところなく自己の小宇宙に更生させてやむことを知らない。一つには、歩一歩近づきゆく死への不安を昇華する生命記録をのこそうがために。また一つには、あくなき生命力価の充実感を印録しようがために。」*16 これは奇しくも「霏霏―芦雁図」と「紅の匂い―南天雄鶏図」のそれぞれが描出した絵師の「造形意欲」を如実に語っているように思われる。
 若冲絵《芦雁図》と《南天雄鶏図》は、共に大胆な構図や色彩のコントラストに加え、吹きつけや裏彩色等の技法を駆使することで豊かな写実性を実現すると同時に、観る者を深い内省へ導く精神性を秘めている。雁と雄鶏の各各に込められた絵師の内的衝動を詩人は明敏に観取し、序章の2篇において雄筆で描き分け、読者へ明示したのである。
 
○おわりに
 
 本詩をつぶさに読んでいるとき、その音楽性と映像美が相俟ったのだろうか、筆者の眼裏にはモーリス・ラヴェル作曲、モーリス・ベジャール振付の『ボレロ』を踊るフランスのバレリーナ シルヴィ・ギエムの姿が浮かんだ。「赤い円卓から炎が立ち上がるようなその気迫。その強いまなざし。まるで危機に瀕した世界にただひとり対峙しているような、深い覚悟を内に秘めた彼女の踊り」*17 2015年の最終公演を観に行った際、入手した専門誌はこのように評しているが、これは《南天雄鶏図》に向かって一心不乱に彩管を揮う絵師の像と重なるのではないだろうか。円環を彷彿させる音楽がうねるように高まるなか、髪を炎のごとくなびかせ、「漆黒の脚」ならぬ黒いレギンスで舞うギエムの「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」は本詩と一体となり、いつまでも私の内なる活力源であり続けるだろう。
 
 
*1 河津 聖恵 『綵歌』 2022年 ふらんす堂 (第41回現代詩人賞受賞) 所収
*2 河津 聖恵 『ルリアンス――他者と共にある詩』 2007年 思潮社 
*3 同書 p.130-131
*4 同書 p.144
*5 河津 聖恵 『綵歌』 「解説」 p.154
*6,*7 河津 聖恵 『ルリアンス――他者と共にある詩』 p.147
*8 ニーチェ 『ツァラトゥストラはこう言った(下)』 氷上 英廣 訳 1970年 第1刷・1992年 第34刷 岩波書店 岩波文庫 p.334 
*9 河津 聖恵 『綵歌』 「解説」 p.154
*10 同書 p.153
*11 高山 峻 『美と真実《随想集》』 1966年 山陽図書出版株式会社 p.27
*12 河津 聖恵 『綵歌』 「解説」 p.151 *2
*13 同書 p.150
*14 高山 峻 『美と真実《随想集》』 p.99
*15 河津 聖恵 『綵歌』 「解説」 p.151・P152
*16 高山 峻 『美と真実《随想集》』 p.100
*17「ダンスマガジン」 2014年11月号 (株)新書館 P.13
©Yumiko Kuramoto 倉本 侑未子     

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2024.2.11                   河津聖恵詩集『綵歌』所収「霏霏-芦雁図」に寄せて

―霏霏という無音から聴こえてくるもの―

○はじめに
 詩集『綵歌(さいか)』*1には江戸時代中期の絵師伊藤若冲(じゃくちゅう、1716-1800)の絵をモチーフとする作品をはじめ、若冲へのオマージュが込められた連作詩30篇が、序章・第1~4章・終章と組曲の編成さながらに収められ、巻末に詩作品ごとの周密な解説が若冲絵と組み合わせた形で付されている。序章の2篇のうち、先の作品である「霏霏-芦雁図」(モチーフ:《芦雁図》1766年)は全篇を予告するような含意を帯びた荘重な導入部であるとともに、若冲の画境において一つの転機が生じた背景と瞬間を河津さんの明敏な心眼が捉えた作品である。『綵歌』を読み解くうえでの重要な鍵として、件の「解説」を参照しながら詳細に見ていきたい。

○作品(全文引用)

 霏霏-芦雁図
 
霏霏(ひひ)といううつくしい無音を
とらえうるガラスの耳が
多くのひとから喪われつつあった時代
ひとひらふたひら
空が溶けるように 今また春の雪は降りだし
この世の底から物憂く絵師は見上げる
見知らぬ鳥の影に襲われたかのように
煙管を落とし 片手をゆっくりかざしながら 
 
雪片ははげしく耳をとおりすぎ
ことばの彼方に無数の廃星が落ちてゆく
ひとの力ではとどめえない冷たい落下に
絵師は優しく打ちのめされる
愛する者がはかなくなって間もない朝
この世を充たし始めた冷たい無力に
指先までゆだねてしまうと
庭の芦の葉が心のようにざわめき
この世はふいにかたむいた
雁がひとの大きさで墜落し
風切羽を漆黒に燃やして真白き死をえらんだ 
 
笑うように眠りかけて指先はふるえる
乾いた筆が思わず
共振れする 霏霏
「見る」と「聴く」 「描きたい」と「書きたい」
ひえびえと裂かれてゆく深淵に雪はふりつむ
眠りに落ちた絵師は
ついに胡粉に触れた
骨白に燦めく微塵の生誕を見すごさなかった筆先  

Ⅰ 作品の構成
 視界を閉ざそうとするかのように絶え間なく、音もなく降りしきる雪をこの上なく簡潔に表現した冒頭の1行「霏霏といううつくしい無音を」によって読者は一瞬にして凛烈な世界に呑まれる。その後の展開は以下の通りである。
 第1連:雪景に一人佇み、空を見上げる若冲を鳥影が掠める。
 第2連:落下する雁の姿に、急逝した末弟を重ね見る若冲。
 第3連:第2連で胸中に起きた情動を筆に託し雪を描くべく、眠りの中で若冲は胡粉に触れる。
三人称で時系列に描かれ、第1連が起、第2連が承・転、第3連が結という筋立てになっている。
 
Ⅱ 作中の時間の流れ
 第1連では「ひとひらふたひら」、「空が溶けるように」、「片手をゆっくりかざしながら」等ゆったりとした表現が多く、第2連に入ると「はげしく耳をとおりすぎ」、「ふいにかたむいた」、「墜落し」等の速い動きが増え、第3連は「眠りかけて」、「雪はふりつむ」、「眠りに落ちた」と再び緩やかに収まっている。
 また連の行数は順に8行、11行、8行である。各連に同一の長さの時間が流れているとすると、第1・3連に比べて第2連は行数が多い分、速いピッチで進行することになる。(仮に一定時間を20分とすると、第1・3連は20分/8行=2分30秒@行に、第2連は20分/11行=約1分50秒@行になる。)
 このようなことから本作は言語表現と形式の両面において、緩-急-緩の3楽章構成に似た音楽的な時間の流れを持つと言え、『綵歌』というタイトルの由縁の一端を見る思いがする。
 
Ⅲ 色彩に込められた意味
 第2連の終わり「雁がひとの大きさで墜落し/風切羽を漆黒に燃やして真白き死をえらんだ」、そして第3連の終わり「眠りに落ちた絵師は/ついに胡粉に触れた/骨白に燦めく微塵の生誕を見すごさなかった筆先」において頻出する色彩――漆黒、真白、胡粉、骨白はどのような意味を持つのか。
 若冲が眠りの中で「触れた」「胡粉」とは日本画の白色顔料であり、白は雪や骨に通じる死のイメージを持つ。これに相対するように、墜落死の寸前まで生きている雁の風切羽は「漆黒」に「燃」える。死に白を、生に黒を配するのは一般的イメージの反転と言えるが、これは河津さんが感得したところの、《芦雁図》に秘められた特異さの描出ではないか。すなわち雁の落下は、闇(=黒)である現世から白い死の世界へ落ちることによって、逆説的に現世の蒙昧から覚醒しようとする積極性を絵師に啓示する出来事であったと、河津さんは解釈したうえで、雁は「風切羽を漆黒に燃やして真白き死をえらんだ」と表現したのではないだろうか。
 
Ⅳ 若冲の心の動き
 ここで第2連における若冲の心の動きに注目したい。2行目「ことばの彼方に無数の廃星が落ちてゆく」とは、言葉で表現しきれないほど深い、様々な憂愁が若冲の心の底に沈んでいく重苦しさを描いたものであろう。
 そして5・6行目では憂愁の理由を開示するように「愛する者がはかなくなって間もない朝/この世を充たし始めた冷たい無力に」と、弟の喪失感と世の無常に打ちひしがれる絵師の姿が示される。
 1行おいて「庭の芦の葉が心のようにざわめき/この世はふいにかたむいた」とあり、芦の葉を大きく揺らして雁が落下したことと、人生観が変わるほど若冲の心が激しく動いたこと――この両者が同時に且つ瞬時に起きたことがダブル・イメージで表現されている。
 若冲は落下する雁の姿に、河津さんは若冲の《芦雁図》に、タナトス(自ら死へ向かう本能・衝動)を見たのかもしれない。《芦雁図》に描かれた雁の姿に一種奇異な印象を受けるのは、方向を見定めるごとく見開いた目と何かを語るような嘴が、落下への凄まじい意志を感じさせるからである。運命と重力に身を任せるのではなく、雁自らが落下という飛行の一形態を選び取っているかの積極性がこの絵の醸す違和感の正体であろう。つまり元をたどると、雁が見せつけたタナトスの大きな熱量が若冲の心を激しく揺り動かし、「かたむ」かせ、《芦雁図》を描かせたのだと思われる。
 Ⅲで述べたことと考え合わせるなら、自ら落下を選択した(と受け止められる)雁の姿が天啓となり、若冲は弟への哀惜や計り知れぬ虚しさを己の意志の力で昇華させ、筆に託すことこそが解脱の道になると悟った、そのような読みが成り立つのではないか。
 
Ⅴ 死と眠りの関係
 3連目の始めで「笑うように眠りかけて」とあるが、この場面での絵師の「笑」いとは、自らの悟りに対する会心の笑みか。あるいは凶を転じて吉に変える、禍を転じて福と成すこと自体への含み笑いのようなものか。いずれにせよ若冲は穏やかに「眠りかけ」たのである。
 さてギリシャ神話でタナトスは死を司る神であり、双子の兄弟ヒュプノスは眠りの神であるように、死と眠りは意識がなくなるという点で近似し、親和性があると言える。第2連で雁のタナトスに啓示を受けながらも、若冲はそれを鵜呑みにして死に向かうことはなく、自らの中のタナトスをヒュプノスに変換し、第3連で「眠りに落ちた」と解釈できる。
 なおタナトスに関して付言すると、河津さんの詩集『夏の花』*2のタイトル詩にも、印象的な登場シーンがある。「あの日/飼い慣らせなかったタナトスの蹄の音がきこえた/あいまいだった黒い馬の影はついに/百頭の怪物となって実在し/季節と花々をたやすく踏みにじった」このように元来破壊的な神タナトスを、若冲は弟神ヒュプノスに転じるかたちで、平和的に御したのである。手腕の高さというより、この世に生を享けた者として、衆生の闇を生き抜かんという絵師のただならぬ信念に根差したものと考えるべきだろう。
 5行目「ひえびえと裂かれてゆく深淵に雪はふりつむ」とあるが、「裂かれてゆく深淵」とはタナトスとヒュプノスの乖離を意味するのだろうか。前者から後者への移行を穏やかに介助するように「雪は降りつむ」――三好達治の「雪」(「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」全文)を想起させる、どこか温もりのある雪景色のなか、若冲は漸次に眠りに近付く。
 そして「ついに胡粉に触れた」絵師――「骨白に燦めく微塵の生誕を見すごさなかった筆先」と、本詩は結ばれる。夢の中で筆先が捉えたのはタナトスの支配する死ではなく、「生誕」――しかも「骨白に燦めく微塵の生誕」である。無垢なイメージから遠く、むしろ限りなく死に近い骨白色をした「燦めく微塵」という、尋常ではない何かが生まれる瞬間を、若冲は鋭敏に捉えたと解するほかなく、このエンディングは続く連作詩で絵師がどのような眼差しで森羅万象を見つめていくかの伏線と言えよう。
 
Ⅵ 落下というイメージの由来
 本詩の文体は初見では技巧の跡を感じさせないが、つぶさに読むと30行足らずの中に落下をイメージさせる語句や表現が非常に多く含まれていることに気付く――「降り」落ちる「雪」、「煙管を落と」す、「廃星が落ちてゆく」、「冷たい落下」、「愛する者がはかなくなって」(=命を落として)、「雁がひとの大きさで墜落し」、「眠りに落ちた絵師」等。Ⅳで見てきたように、落下の最たるものは雁を突き動かすタナトスの大きなベクトルであるが、降る雪をはじめとして森羅万象は落下の定めにあり、この世の一切は無常の表象と言えよう。
 本詩集の「解説」によると、河津さんがこの作品を書き始めたのは「暗い空からぼたん雪が降りしきっていた*3」冬の朝、「芦に積もった雪を散らして落下する雁を描いた『芦雁図』を連想した*4」ことがきっかけである。窓の外の景色に促されるように、「記憶の奥から浮かび上がって来た*5」若冲絵。降りしきる雪と絵からにじみ出る無常観に心を震わされ、「共振」れしながら綴られた本作に、落下のイメージがしきりとその果無い響きを伝えてやまないのは宜なるかなと思う次第である。
 
Ⅶ 霏霏という無音から聴こえてくるもの
 霏霏という擬態語(音がないため擬音語とはいえない)を目に、あるいは耳にすると身に迫る激しさを感じる。漢和辞典で「霏」の意味として最初に「雨や雪が入り乱れてはげしく降るさま*6」とあるとおりだ。極限状態とはいかぬまでも視界が過度に悪い状況下では、「見る」と「聴く」という感覚機能が渾然一体となり、日常では看過しがちな何かを複合的に感知する瞬間があるのかもしれない。若冲はそれを「描きたい」と、河津さんは「書きたい」と創作意欲を募らせた――直接話法で書かれるほどの切実さで。
 霏霏という無音から聴こえてくるものとは畢竟、諸行無常の響き、生者必滅という宇宙の理(ことわり)ではないだろうか。衆生界はこうした理法に抗い得ないものだと若冲は悟り、その思いを筆に託そうとしたのであろう。河津さんは深い想像力と共感力をもって若冲絵の細部と深部までたどり、霏霏と降る雪の無音や雁の息づき、芦に積もった雪の散る音や絵師の拍動にまで目を凝らし、耳を澄ましながら本作を書いた。
 冒頭の「霏霏といううつくしい無音を/とらえうるガラスの耳が/多くのひとから喪われつつあった時代」の「時代」とは、作中の時代*7であるばかりでなく、現代にも当てはまるように思われてならない。森羅万象への畏怖の念を忘れ、極度に人間中心主義な今日(こんにち)へ、河津さんは若冲と同じ透徹した眼差しで静かな警鐘を鳴らしているのではないか。生者必滅も生老病死も抗うことのできない理(ことわり)であるのに、死の尊厳が喪われ、好奇の対象にすらなる現代社会のありように、一石を投じているように受け止められるのである。
 
○おわりに
 本稿を執筆中、奇しくも雪が降りはじめ、「霏霏といううつくしい無音」に耳を傾けながら本詩と向き合う僥倖に恵まれ、モチーフとなった《芦雁図》も一層肌身近く感じられたように思う。なお雪によって怪我をされた方々や事故に遭われた方々には、この場を借りて心から御見舞いを申し上げたい。
 水の循環を思い浮かべると、雪は懐かしくも新しいメッセンジャーであることに気付く。太陽光によって蒸発した水が雲となり、雨や雪となって地表面に降り、河川や地下を流れ、海に戻っていく。いま私の掌に舞い落ちた無垢の雪片は、循環のなかの儚い姿であり、かつて誰かが目にし、口にしたものである……と感慨に耽るうちに溶けゆき、会うこともない誰かの身と心をいつの日か潤すのだろう。
 二百数十年の時を経て、河津さんは若冲絵に息をそっと吹き込み、新たな魅力を際立たせた。絵師自身は「自分の絵は千年後にやっと理解されるだろうと語っていたそう*8」であるから、予想よりも随分と早い展開に、彼岸の若冲は驚きつつも微笑んでいるのではないか。本詩集もまた大切に読み継がれ、折々に新たな息を吹き込まれていくことを期待しつつ、続く作品を読み進めていきたい。   
 
 

*1 『綵歌』 河津聖恵 2022年 ふらんす堂 (第41回現代詩人賞受賞)
*2 『夏の花』 河津聖恵 2017年 思潮社
*3~5 『綵歌』解説 p.151 
*6 『新漢語林』 大修館書店
*7 「『動物綵絵』が描かれた十八世紀の京都は、経済力の発展に支えられ文化的には華やぎながら、世相は次第に暗く不安なものになっていきました。都市の繁栄のかげで貧窮者は増加し、放火による大火が頻発、洪水や台風や地震などの自然災害、疫病、飢饉、尊王論者が幕府に処罰された『宝暦事件』など(後略)」 『綵歌』解説 p.150 
*8 『綵歌』解説 p.149

©Yumiko Kuramoto 倉本 侑未子


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